3つのオレンジへの恋からのお知らせです  
新宿区戸塚町1-102-101(早稲田大学南門前、南門から徒歩0分)のオムライス店です。オムライスだけでなくブリュレもご好評いただいております。ランチタイム、ティータイムにご利用ください!
2017/10/11(水)20:21
巨人の主力選手は太りすぎである。
美味しいものを腹いっぱい食べ過ぎて、走り込んでいないから、ケガも多い。
元巨人軍選手にして、ヤクルトスワローズや西武ライオンズを常勝チームに育て上げた広岡達朗さんならではの至言です。


私の子どもの頃は、スポーツ放送と言えばプロ野球か大相撲だった。
「何と申しましょうか」
野球解説者の小西得郎さんのこの名セリフを、こどもたちもマネをした。

たしかに昔の野球選手には、太った名選手はいなかったように思う。
今も映像に見る王選手の一本足打法の姿は芸術品で、惚れ惚れするほど全身が引き締まっている。
ミスター長嶋選手だってそうだったし、もちろん広岡さんも。

「さあ、ピッチャー○○、マウンド上で大きく振りかぶりました」
それがアナウンサーの常用句だった(今はふりかぶらない)。
金やん金田正一投手のフォームは全身がしなるようだった。南海の杉浦も、巨人の藤田も,中日の権藤も、大洋の秋山だってみんなそうだった。


鉄人稲尾投手はごっつかったが、筋肉質だった。中西太選手だって、決して今の太っちょ選手たちのようではなかった。
選手に求められるものが変わったのかもしれないが、広岡さんなら、昨今の松坂大輔には激怒だろう・・・晩節を飾ってもらいたいが。


私は小学生の時に、家から近い駒沢球場に、よく観戦に行きました。
ナイターの照明がほの暗かった、ローカル色漂う、東映フライヤーズの本拠地。

監督は名将水原 茂。
.あの張本さんも若手で、毒島、ケンカの山本(八)、主砲のひとり吉田勝豊、エースの土橋、怪童尾崎投手ら、鼻っぱしの強い個性派ぞろいだった。

試合が終わると、近くの宿舎まで、歩いて引き上げてゆく東映の選手を、記者が取材していました。
相撲取りの身体をポンポン叩くように、オジサンたちは、歩いている選手の背中や腰の辺りを、結構気安く触っていた。私も一度マネをして、吉田(勝)選手の背中を軽くポンポンすると、鍛えられた身体を感じましたが、特別大きい選手という印象はなかったように思いました。みんな、不自然に大きくもなく、自然な身体つきをしていました。

大リーガーの体格は別人種のようだから、日本選手が大型化したい気持ちは分かるが、イチロー選手や上原投手を見ていると、ちょっとホッとする。

もう30年以上前になるが、アメリカのスポーツ記事で、日本の野球選手は元相撲レスラーで、江夏はマウンドに登ると、準備運動で土俵入りをするのだと紹介されていた。ジョークとしてはなかなか面白いが、最近、大リーグ投手に超ド級の相撲出身者(!?)がいるのを見かけてしまった。

日本シリーズは、首位チーム同士で戦わせてあげたいが、映画「七人の侍」の雨中の決戦のようだった、先日の甲子園の闘いは凄かった。

さて、来年の巨人は「スリムクラブ」になっているだろうか?。


2017/09/28(木)12:04
もううんざり
食傷

できては壊し
作っては消え

数えるのも馬鹿らしい
とくにあの新党

宇宙人の元総理・代表
いまなおおそまつ千万

原発事故では専門ぶって
無責任まきちらした男

連日の事故報道姿 
ちゃっかり公費で

購入していたのは
あの高額ジャンパー


他党にはあれほど追求した
事故会議の「議事録」がない

後世に残すべき重大リスク対処
発言行動の責任逃れだ


議員はおろか
代表さえ 顔も名も知らぬ

個々の主義主張
意見言えぬは

情報統制 かん口令!?
あの国と同じじゃないか

「〇〇ファースト」
きみたちは一体何者なのか

何もせぬうち
国政に鞍替えだと!

築地と豊洲
都政と国勢

ふたまた 乗り換え
自由気まま

「リセット」に悄然 
お察しします 元検事 


ドロ船から逃げ出した阿呆
逃げ出せぬ阿呆

なりふり構わず
すがりついた先は

ご立派!
新党という悪党

数年後が楽しみ
乞うご期待

新党を
作ってはいけないと

決して言っている
わけはではありません

政治家なら誰でもかかる
やっかいな病なのですから

2番じゃダメなんです
「女性初」がいいんです


2017/09/19(火)17:41
実に意外なニュースでしたが、三重大学の人文学部では、「忍者・忍術学講座」が開講されたとのこと。三重大が近ければ、教室に「忍び」入りたいものです。

私がこどものころ、古典的な「真田十勇士」ものの小説やマンガは人気で、なかでも漫画家 杉浦 茂さんのユーモラスな画風による、猿飛佐助、霧隠れ才蔵、服部半蔵、児雷也などの忍者は人気でした。

こどもたちは、忍者に憧れて頭を手拭いで覆い、ドロドロと言いながら、ときにはたき火の煙の向こうから、「巻物」を口にくわえて印を切ったものでした。水の上を歩く「水ぐもの術」は^プールや川で、竹筒を咥えた「水とんの術」を風呂でまねしたが、うまくいかなかった。


いまの時代も、忍者ショーは、来日外国人に大人気だというのに、ただいま「全国的に忍者不足」なのだそうです。一人前になるのに5年間はかかるという、忍者の修業が厳しいのが理由。


全国に10あるというテーマパークでは、それでなくても不足している忍者が、舞台の裏方まで、一人で何役もこなさなければならない。
とりあげたニュース番組の中では、25歳の若い女性が挑戦していましたが、頼もしい限りで、頑張ってほしいものです。


忍者といえば、忍びの者。
気配を消し去ることは、重要で必要な能力です。体臭を消すためには汗をかかないことも不可欠で、忍者はネギやニンニクなど、臭いの強い食物は決して摂らなかったとか。

ことしの夏、銀座の最新鋭のビル内に移築された、観世能学堂の能舞台を拝見いたした際のこと。
鍛錬された観世宗家は、熱いライトに照らされても、お顔に汗の一つもかかれない。

10数名の、一門のみなさんは、身をかがめて出入りしなければならない、にじり口から音もなく、わき立つようにして舞台に現われるや否や、美しい配置をつくり、正座しました。
演じ終ると、再び、整然ともの音一つ立てることなく、あっという間に全員が、あの狭いにじり口から流れるようにして姿を消していったのです。


舞台に現れ、演じたあの集団は幻であったのかと思えたほど、気配を消していたのです(と、私には思えました)。
「無」の世界・・・。
欧米の芸術にはないものだと思います。

果たして「能楽」の芸術と、「忍び」の武術のたしなみには、共通するものがあるものか。

そろそろ秋の気配。
やはり三重大学に、「表口」から忍び入りたい・・・。


夏の終わり、今週、「3つのオレンジへの恋」は、お休みいたします。



2017/08/26(土)16:15
間もなく日本テレビ恒例の「24時間テレビ」が始まります。
マラソンは誰が走るのか?
ようやく、まさかのブルゾンさんと判明しました。


もう何年前になるのか、「東京マラソン」で走ったひとりの女子アナウンサーがいました。

彼女が走ることが伝えられ、練習風景が放送されたとき、私は心配しました。華奢な彼女は、どう見ても「体育会系」ではなく「文科系」だったからです。人気女子アナとはいえ(ゆえに?)、テレビ局も無茶な「業務命令」を出すものだと思いました。

彼女とは、元 日本テレビ女子アナウンサーの古閑陽子さんのことです。


━━ときおり「3つのオレンジへの恋」に見えていた、物腰態度に気品が感じられる、ひとりの若い女性客がいました。

お見かけしなくなったなと思っていた、とある日のことでした。

「こんにちは!わかりますか?」

突然、彼女がにこやかに顔を見せたのです。

彼女は古閑さんといい、名刺を差しだしながら、早稲田商学部の学生であったこと、卒業後は日本テレビに入社して女子アナウンサーになられていたことが分かりました。


この日やってこられたのは、日テレ系CSテレビ特番取材のためで、女子アナウンサーが学生時代の思い出の店を再訪するという企画でした。


古閑さんのお顔はスポーツ番組「うるぐす」で拝見していたのですが、あの物静かなお嬢さんと、「口から先に生まれた人種!?」アナウンサーというお仕事とが結びつかず、それまでまったく気がつきませんでした。

その特番は後日DVDで拝見させていただきましたが、古閑さんは学生時代には、立派な女性指導者の下でボランティア活動に励んでいたことも伝えられ、あらためてそのお人なりに感心したものでした。


学生時代の彼女は、「3つのオレンジへの恋」でレジの際に、ほんのひとことふたこと言葉を交わしただけの謎の美女でした。その容姿から、映画・演劇界の有望なたまごではないかと思っていましたが、先日のニッポン放送 高嶋秀武アナ同様、こうして思わぬかたちで「謎」が解けたのです。


古閑さんの特番には、今やすっかり人気者になったフリーアナウンサー夏目三久さんがまだ新人で、日本テレビアナウンサー部室で発声練習をしている、珍しい姿もうつっていました。


古閑さんは、その後も看板番組「笑点」正月特番のアナウンサー大喜利に出場したり、「天才カンパニー」や早朝の「おは4」など多くの番組に出演していた、日テレ期待の女子アナウンサーでした。早々に結婚退社されましたが、その後も、ときおり「3つのオレンジへの恋」に顔を見せてくれました。

「3つのオレンジへの恋」店頭には、古閑さんからいただいた、かわいらしい色紙が飾ってあります。屈託のない大らかな文字でフルネームが書かれていて、そして━━大好きな思い出の味━━。


ある日、この色紙を見た二人の女子アナウンサーがいました。

古閑さんは、テレビ各局のアナウンサー入社試験で、いつも最終面接まで残って顔を合わせていたのでお互いによく知っている、素敵な方でしたと、懐かしそうに話していました。そのふたりとは、やはり取材で当店にやってこられたテレビ朝日の矢嶋悠子アナと久保田直子アナです。そしていま、お二人のサイン色紙が古閑さんの色紙と並んでいます。

古閑さんの早い「引退」を思うと、もしあの日、古閑さんが訪ねてくれなかったら、ずっと気が付かないままに終わったかもしれず、「入社試験でいつも出会った」という三人の「色紙上の再会」とともに、運命の不思議を思います。

最後に、案じていた古閑さんがマラソンを途中で「リタイアしてくれた」とき、ホッと肩の力が抜けたことを今でも覚えています。


「3つのオレンジへの恋」は、いよいよ8月28日(月)より営業いたします。

2017/08/14(月)15:10
野球で複数安打を放つことをマルチヒットと呼んでいますが、最近私が目にしたり体験する出来事や事象は「単発」ではなく、何かがどこかで繋がっているように思えるのです。


「八海山」といえば、新潟の清酒があまりにも有名ですが、私は山の名を知ってはいたものの、その姿かたちは知りませんでした。

今年に入ってから「3つのオレンジへの恋」に見えるようになった、元 山男の石田 亘さんから、「つむじまがりの山登り」という大変立派な装丁の著書をいただきました。氏の集大成ともいうべき山岳紀行文と随筆集ですが、本の外装・顔であるケースの写真は、青空の下、白銀の雪が美しく映える山の写真・・・それが八海山でした。


「つむじまがりの山登り」の中に、山をやめた理由のひとつに「ジャズ演奏に時間をとられるから」とあり、意味がわからないまま読み過ごしていましたが、ひょんなことから、石田さんが実はジャズメンでもあることが分かりました。


以前、私が商社の不動産開発部門で、浅草に関わる仕事をしていたときに、時々訪れていたパブがありました。そこは、浅草おかみさん会会長の富永照子さん(当時)が、飛ぶ鳥を落とす勢いだったダイエーの中内 功さんに経営させた店で、ジャズ演奏のライブが楽しめます。石田さんはそこで演奏をしたことがあるそうで、まさかまさかの「浅草のジャズつながり」でした。


もうひとつ浅草といえば「BS NHK」で、「(花の?)百名山」の一つ、浅草岳を取り上げていました。

浅草岳という山は名前も知らなかったのですが、石田さんが著書の中で唯一2度取り上げた山だったのを思い出し、急遽録画して、石田さんにDVDを見ていただきました。石田さんが登ったのは厳しい雪山でしたが、BS放送の浅草岳は長閑な初夏で可憐な高山植物が咲く、別の山のようだったことでしょう。



興味深く見たのが、日本列島誕生の奇跡を紹介する、NHKスペシャル 「列島誕生・ジオジャパン」。

「第2週」では、列島の隆起・生成の事例として、数ある山々の中から八海山が取り上げられ、その生い立ちや山容の一部を目にすることができました。その番組の中に、短い時間ではあったが、私の高校の同級生で、中央大学の地学教授 大内俊二君の姿がありました。

高山は風雪・降雨に浸食されて標高が低くなってゆくはずだが、高さが変わらないでいるのは、隆起する力とのバランスによるものだという理論は腑に落ちました。

風雨の浸食の実験をする大内教授のシーンや理論は、もっと時間をとって放送してほしかったが、人気者とはいえ劇団ひとりと指原莉乃さんの場面が長い。それでもわが大内教授は、偉そうな学者風でなく、そこいらのおやじが砂遊びをしているように思ってもらえればいいんだと。

都立大学付属高校で私が所属していた美術研究部・美術室の隣には、若き日の「教授」がいた機械技術研究会(実は模型鉄道部なのだとか)の部室がひっそりとありました。「美研」には男女多数の部員がいましたが、「機研」の方は部の存在も知られないほどの、ほんの数人の男子しかいなかったと思います。


一見ぶっきらぼうそうな彼とは1年のときはクラスが違ったので、言葉を交わす機会がなかったが、彼の前を通りかかる私に目をやりながら、ひとり部室の外で長身をかがめ、黙々と自転車の整備をしていたものでした。
「ジオジャパン」の映像は短かかったが、「砂と遊ぶ」大内君の顔は、あのときと一緒でした。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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