2017/08/14(月)15:10
野球で複数安打を放つことをマルチヒットと呼んでいますが、最近私が目にしたり体験する出来事や事象は「単発」ではなく、何かがどこかで繋がっているように思えるのです。


「八海山」といえば、新潟の清酒があまりにも有名ですが、私は山の名を知ってはいたものの、その姿かたちは知りませんでした。

今年に入ってから「3つのオレンジへの恋」に見えるようになった、元 山男の石田 亘さんから、「つむじまがりの山登り」という大変立派な装丁の著書をいただきました。氏の集大成ともいうべき山岳紀行文と随筆集ですが、本の外装・顔であるケースの写真は、青空の下、白銀の雪が美しく映える山の写真・・・それが八海山でした。


「つむじまがりの山登り」の中に、山をやめた理由のひとつに「ジャズ演奏に時間をとられるから」とあり、意味がわからないまま読み過ごしていましたが、ひょんなことから、石田さんが実はジャズメンでもあることが分かりました。


以前、私が商社の不動産開発部門で、浅草に関わる仕事をしていたときに、時々訪れていたパブがありました。そこは、浅草おかみさん会会長の富永照子さん(当時)が、飛ぶ鳥を落とす勢いだったダイエーの中内 功さんに経営させた店で、ジャズ演奏のライブが楽しめます。石田さんはそこで演奏をしたことがあるそうで、まさかまさかの「浅草のジャズつながり」でした。


もうひとつ浅草といえば「BS NHK」で、「(花の?)百名山」の一つ、浅草岳を取り上げていました。

浅草岳という山は名前も知らなかったのですが、石田さんが著書の中で唯一2度取り上げた山だったのを思い出し、急遽録画して、石田さんにDVDを見ていただきました。石田さんが登ったのは厳しい雪山でしたが、BS放送の浅草岳は長閑な初夏で可憐な高山植物が咲く、別の山のようだったことでしょう。



興味深く見たのが、日本列島誕生の奇跡を紹介する、NHKスペシャル 「列島誕生・ジオジャパン」。

「第2週」では、列島の隆起・生成の事例として、数ある山々の中から八海山が取り上げられ、その生い立ちや山容の一部を目にすることができました。その番組の中に、短い時間ではあったが、私の高校の同級生で、中央大学の地学教授 大内俊二君の姿がありました。

高山は風雪・降雨に浸食されて標高が低くなってゆくはずだが、高さが変わらないでいるのは、隆起する力とのバランスによるものだという理論は腑に落ちました。

風雨の浸食の実験をする大内教授のシーンや理論は、もっと時間をとって放送してほしかったが、人気者とはいえ劇団ひとりと指原莉乃さんの場面が長い。それでもわが大内教授は、偉そうな学者風でなく、そこいらのおやじが砂遊びをしているように思ってもらえればいいんだと。

都立大学付属高校で私が所属していた美術研究部・美術室の隣には、若き日の「教授」がいた機械技術研究会(実は模型鉄道部なのだとか)の部室がひっそりとありました。「美研」には男女多数の部員がいましたが、「機研」の方は部の存在も知られないほどの、ほんの数人の男子しかいなかったと思います。


一見ぶっきらぼうそうな彼とは1年のときはクラスが違ったので、言葉を交わす機会がなかったが、彼の前を通りかかる私に目をやりながら、ひとり部室の外で長身をかがめ、黙々と自転車の整備をしていたものでした。
「ジオジャパン」の映像は短かかったが、「砂と遊ぶ」大内君の顔は、あのときと一緒でした。


2017/08/02(水)14:17
BSテレビで珍しく秋田県の岩舘海岸が放送されました。
小学校3年から5年までの夏休み、両親の出身地である能代市の伯母夫婦の家に行った際に、海水浴に出かけた海です。

初めて上野駅から乗った夜行寝台列車・・・蒸気機関車はたしか最初の年だけ。当時、三等車(二等車?)は冷房がなく、トンネルに入るとあわてて窓を閉めるものの、開け放した車窓からの風は気持ちよく、ときおり聞こえてくる蒸気音や旅情をかき立てる汽笛の音。ゆっくりゆっくり加速してゆくさま。朝になれば乗務員の手によって奇術のように寝台が客席に変わり、どこまでも続く緑の田園風景は優しかった。

客席で汗を流しながらも、ままごとセットのような、注ぎ口のついた陶器製の容器に入った冷たくないお茶を飲み、冷凍ミカンや最中アイスが食べられる蒸気機関車の旅は、一つ一つが夢のような出来事でした。


やがて機関車は電化(ジーゼル化?)されましたが、東能代駅から岩舘駅へ行く五能線はもうしばらくの間、蒸気機関車が頑張っていました。
機関車に連結された客車はたいていは2両で、ときには客車の半分は貨物用であったり、たった1両のときもありました。しかしながら、線路の両側に樹木が迫り、民家の庭先や軒先のようなところを、思い切り汽笛を鳴らし、蒸気や煙を吐きながら機関車が疾走する迫力は強烈でした。いくつものトンネルをくぐると“鰰(はたはた)”八森の、そして岩舘の海が見えてくるのでした。

海水浴場といっても岩舘は名前通りフナムシの多い岩場だらけで、休むにも平らな場所がなく、岩に腰を下ろして休むことしかできないのがつらかったが、潮だまりには取り残された魚が泳ぎ、ヤドカリや小さなカニやエビ・イソギンチャク・ウニ、図鑑で見たウミウシもいて、まるで小さな水族館でした。

まだ泳げなかったので浮輪を浮かべて遊んだ岩舘の海岸は、夏休み最良の思い出の一つでした。

この日のテレビの映像では、岩場の一部に人口の手が加えられ平らなスペースになっていましたが、青く透明な海と海岸の岩場の景色は、私たちが憩ったあのころを十分に思いださせてくれました。


今年の夏、息子夫婦が3人の孫と秋川渓谷に遊びに行き、楽しんだようです。
一番上の孫の男の子は、私が能代に行っていたころと同じ小学校の4年生。
いつか夏休みに五能線の汽車に乗せて、あの岩舘の海に連れて行くことができたら、どんなに喜ぶことだろうか。

2017/07/27(木)13:57
福岡からきたという若い二人の女子。
ひとりは以前、テレビ番組の収録で来られた菊地亜美さんをさらに可愛くしたようでした。なかなか雨が止まなかったこの日、原宿に行った後に回ると言っていた東京タワーの眺望は、彼女たちに微笑んだだろうか。

「3つのオレンジへの恋」には、「オムライスの美味しい店」のネットランキングを見てやってきてくれたそうです。どんな記事だったのか・・・何はともあれ遠路からの、可愛くセンスのよいこの二人・・・「上質な東京」を代表すると言ってよい「原宿」「東京タワー」と並べていただいたことは、とても光栄です。

福岡に戻ってから、楽しく美味しかった思い出を、是非ネットで発信してください。

ちょっと嬉しかった「3つのオレンジへの恋」でした。

なお7月31日(月)は臨時で お休み させていただきますのでよろしくお願いいたします。

2017/07/15(土)14:07
「ここで笑わんと笑うとこないよ」
「我々の漫才は油断してると笑うとこないからね」

お馴染、酒井くにお・とおる 兄弟漫才のセリフです。


━━久々に訪れた夕刻の銀座。
たまたまだったのか、歩道にあふれかえる観光客も、路上に列をなす観光バスも見当たらず、街は整然とした品の良い佇まいをみせていました。

1年前に亡くなった母はドライブが好きで、最晩年に・・・もう乗り降りも難しかったが・・・私は車でどこに行きたい?と尋ねました。父や母の愛情に包まれて育った、世田谷の官舎があった地名を言ってほしいと期待しましたが、母は銀座を見たいと言ったのでした。この日の美しい銀座の街並みを見せてあげたかった・・・。


この日、私が銀座を訪れたのは、観世会荒磯能の講座を聴講するためでした。
真新しいGINZA SIXビル地下3階に移築された観世能楽堂の何と立派なことか。

観世 清和 二十六世宗家により、渋谷松濤にあった能楽堂を解体し、銀座に復元移設するまでの過程を説明していただきました。伊勢神宮や出雲・春日の大社など由緒ある建築物同様、釘を1本も使わない能楽堂建物をいったん解体して、信州の外気の通う倉にて保管。通気のよい和紙に包んだことも資材の保存上とても効果があったとのことでした。日本古来の宮大工や専門の職人たちの英知と技術を結集し、幾多の困難を克服して無事完成に結びつけたそうです。

全体の施工監理は鹿島建設でしたが、後になって、音響効果を高めるためホール壁面に木材を設置したり、舞台を照らすためのスポット照明などが必要となり、当初なかった追加工事の費用は全部こちらが払う羽目になったと、会場を笑わせました。


この日、短いはずであった宗家のお話は大きく時間が延びたのですが、端正なお着物袴姿は終始涼し気でした。

客席はクーラーがよく効いていて寒いくらでしたが、舞台上は照明の熱で相当な暑さなのだそうです。しかし、鍛え抜かれている宗家は汗の一粒もお顔に滲ませることなく、おそらくお着物の下は、引き締まった強靭な身体であられることでしょう。宗家は自宅では、クーラーは使っていないそうで、「心頭滅却すれば・・・」を実践なさっておられるのです。

演者の一人が舞台上で何度も顔の汗を拭って宗家から、おしかりを受けていましたが、私も親譲りの大汗かきで他人ごとではありませんでした。


「基本」の大切さは何度も繰り返されました。
しかしさらに「内面性」が大事で、「木偶の棒」であってはどうしようもない、お客だって然りである。
初めは何気ない語りだと思って聞いていると、ときには鋭い舌鋒が、観客である我々にも突然容赦なく迫ってくるのです。


宗家のお言葉の意味は深くて、まさに金言・至言のオンパレードでした。


漫才の「とおるちゃん!」は、うっかりしていると笑うところがないが、宗家の言葉は一瞬寸分の隙もなく、うっかりすると聞き損ねてしまうほどの情報量の多さ、質の高さでした。

そして「班女」と「雷電」の二曲について、跡見学園女子大准教授 横山太郎氏の行き届いた解説,,

日本伝統芸術の奥深さに感じ入った一日。
束の間、幽玄の能世界に触れさせていただきました。


2017/07/06(木)14:28

「七夕」のように年一度、「3つのオレンジへの恋」で集う会があります。
県立 宮城野高校(仙台市)の卒業生が、山上隆司先生を囲む「宮城野・東京会」で、全15回のうち10回が当店で開かれました。

これまで引っ張ってこられた山上先生が定年を迎えられ、今年で最終となりましたが、先生所縁の秋保温泉名産の可愛らしい「夫婦」や「招き猫」のこけし、花束まで頂くとは思いませんでした。感謝の気持ちでいっぱいですが、来年からこの会はないのだという実感がいよいよ迫ってくるのでした。

山上先生は、この日に合わせて「会」の歴史を「『宮城野・東京会 』 を たどる」という冊子にまとめられました。
私も分けていただきましたが、いつも「会」の手配をされ、最後に「まとめ」まで作っていただいた教え子たちは、何と倖せなことかと思います(先生凄い!)。HPやブログに、私が書いた拙文も載せていただいており恐縮しております。

山上先生の教え子だったりこちゃんが、早稲田の教育学部を受験した日、気さくで楽しいお母さんが「3つのオレンジへの恋」にこられて、家内とすっかりお友達になってしまいました。試験が終わってやってきたりこちゃんは、よい子揃いの当店歴代バイトのなかでも、指折りの子で、こうして「宮城野高」とのお付き合いが始まったのです。


2006年から「3つのオレンジへの恋」で開かれるようになりましたが、年次の異なる卒業生たちが集うのは、ひとえに山上先生の素朴で温かなお人柄によるもの。

参加者は女子が圧倒的に多いのですが、それぞれが悩みを含め、時には涙を流しながら近況を率直に語ることができるのは、先生の「倫理」の授業のなかで作り上げた「テオーリア」の賜物でしょう。

会の中にあって、つねに女性ならではの優しさと品格を醸しだされている山路先生は、宮城野高校にはわずか2年の在任だったそうですが、参加者も私達夫婦も、先生とお会いすることができてよかったと思っています。

看護師、役者、ホテル勤務、飲食店勤務、翻訳の世界に進んだ人・・・多士歳々です。りこちゃんもよき伴侶と巡り合われた。

何年か前、悩みながら早稲田の文学部を中退してしまった女子のことが気にかかりますが、「3つのオレンジへの恋」でお会いできた山上先生と山路先生と、教え子である皆さん方のこれからに幸多かれと祈ります。

山上先生、心に残る会を長い間本当にありがとうございました。

最近ではそれぞれ親を見送る辛い年もありましたが、初めての2006年から11年という歳月が流れていたのですね。



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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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