2010/12/30(木)18:50
今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、福山龍馬が空前のブームを惹き起こしましたが、私の高校時代、龍馬を演じた男がいました。
山中 塁君という好漢です。

今から44年前の高校2年、秋の記念祭(学園祭)でのことで、クラスで演劇に出演することになりました。
演目は「狼生きろ豚は死ね」で、当時、気鋭の作家石原慎太郎氏の作品。
クラスの担任で日本史教師だった、黒羽清隆先生お薦めによる本格派です。

がっしりとした体躯で、明朗快活な山中君が志願した龍馬に、誰も異論はありません。後に藤堂女史が言ったように、彼は「顔が大きい」ので舞台にはぴったりでした。

私も、このクラスになったことで昂揚していたのか、つい中岡慎太郎役に手を挙げてしまいました。他の配役も決定し、殺陣の音や血しぶき等の効果や演出につき、映画演劇通の黒羽先生の助言も頂きました。
いつの間にか、父親が演出をしていて時代劇の作法に詳しいらしい(?)一人の上級生も加わって、武士の立居仕草にいろいろとアドバイスをしてゆきます。

夏休みにも稽古練習を行って、いよいよ秋になり、開幕の日。

「春の海」が流れる、京都の茶屋での冒頭場面、
私の科白「どうも坂本の帰りが遅いようだ。なにごともなければよいが・・・」
で始まりました。

時代劇なので出演者は当然男女ともカツラをつけました。予算の都合で私や何人かは手作りのカツラでしたが、山中君は写真で見る龍馬のように自らの髪を後ろで束ね、とても様になっていました。

レンタルの羽織袴、着物の着付けは、高校の近所の木村君のお宅で、お母さん方に全面的にお世話になって、俄か侍や武家の女性、御女中が誕生したのです。


山中君は終始力強く龍馬を演じきり、龍馬や中岡を暗殺する浪人役の河合衛君、武士の飯島君、商人役の西沢君、藤堂さんや立川さんの女性陣もみんな熱演、力演しました。

私は途中、メガネをかけたまま登場するというハプニングもありましたが、冷静に乗り切り(!?)、その椿事は未だに語り草となっています。

山中君との出番で、私が科白を忘れてしまったときには、目の前の彼が、しきりに私の科白を云ってくれたのですが、私は自力で思い出さないと次が出てこないので、メガネ事件以上に内心焦ったものでした。

龍馬と並ぶ剣の使い手であった中岡慎太郎であったが、もう一刻も早く終わりたい一心の私は、あっさりと、浪人役の河合君に切られてしまいました。

そのほかにも、全体でいくつも失敗がありましたが、舞台は、目の肥えた先生方からも高い評価を受け、クラス一丸となった公演は大成功でした。

都立大学と共用の、古びた講堂の舞台。
ベルが鳴り、幕が上がってゆき照明の落ちた客席が見えてくる瞬間・・・ベテランの俳優や歌手でも味わうという、痺れるようなあのときの緊張感と怖さを、私は今でも忘れません。

山中君は慶応大学に進学、二つの学部で長めに学んだ後、旭化成に入り総務部長・理事という要職を務め、旭化成不動産の社長に就きましたが、病に倒れ一昨年逝去されました。

クラス会でも高校時代同様の明るいムードメーカーで、頑健タフな山中君の死は本当に残念でなりません。

少年時代にボーイスカウト活動をしていたせいか、生来の性分だったのか、いつでも人を喜ばせることができたエンターテナーの山中君。当時あまり知られていなかったテレマークなど、スキーの技をいっぱい織り込んだ得意の歌はとても楽しいものでした。彼が歌った春歌の数え歌も初めて耳にしたものでした。

あのころ話題の映画で、彼がいち早く観に行ったハリウッドの70ミリ超大作「天地創造」や、玄人好みの山岳映画「天と地の間に」などの話を熱く語ってくれました。

プロスキーヤー三浦雄一郎の山岳滑降映画も早々と見ていた彼に誘われて、たしか九段会館で行われたスキー関連イベントに私も行った。私はまだスキーをやらなかったが、会場は若い社会人や大学生でいっぱいで、少し大人の世界に山中君がいると感じたものだ。


━━━彼は、歌劇「カルメン」の全曲を聴いたのだったろうか。
野沢の彼の家の応接間には、「カルメン」全曲盤のケースが並んでいた。
当時私は、あまりにも有名なその序曲しかまだ聞いていなかったが、彼は、オペラという音楽様式を、最高の芸術だと語って早熟ぶりを見せていました。

浪人が多かった我々高校初のクラス会、あるいは黒羽先生のお宅であったか?。
「ダッシュケイオウ」という、早稲田の「コンバットマーチ」に相当する慶応の応援歌を、現役で慶応に入学した彼が早速覚えた。

「♪ ~早稲田を倒せ 勝つぞ 勝つぞ K E I O」

拳を振りかざす、応援部リーダーのスタイルを上手にまねて、みんなの前で披露していたのが、ついこの間のことのようです。私を含め、浪人だったものが多く、少々彼が羨ましかった・・・。


高校時代も、クラス会でも、惚れやすくかつオープンな彼から、好きになった何人かの女子の話しも一杯聞きました。

クラス会のカラオケでは皆が選曲しているなかで、真っ先に「亜麻色の髪の乙女」の島谷ひとみバージョンを歌って。盛り上げ楽しませてくれたナイスガイでした。彼は旭化成の総務部長という役職上、マスコミ関係にも顔が広く、私が第二の人生で始めた「3つのオレンジへの恋」を「夕刊フジ」に紹介してくれ、私は初めて「メディア」のインタビューというものを受けて、写真入りの記事になりました。

それが私のマスコミ・メディアへの「初登場」で、それからも「団塊世代の第二の人生」の先駆けとして、新聞各紙やテレビ局各社がとりあげてくれたのは幸いでした。私が心細かったその時期に、快く動いてくれた山中君は高校時代のときのように気さくで、気の良いおとこでした。

もっとも「夕刊フジ」では、「男の夕刊紙」という同紙の性格上、私の記事のすぐ横には「風俗情報」が載っていて、後に同社のネット上に掲載された画面では、私の記事との見分けがつきにくいものになっていました。今はもうありませんが、無料で掲載していただいてありがたかった半面、少々複雑な思いがしたものでした・・・。


私はそんな彼が好きだったので、高校三年のとき、かれが自治会長に立候補当選した際に、クラス仲間として支えようと役員を引き受けてしまいました。クラスから自治会長が誕生したことは、二年生の記念祭での桑原君の実行委員長に続く「快挙」だったのです。

私はまたしても深く考えず、書記長という役につきました。委員長のほかに男子3名、女子が2名いたが、みなやりたがらず、私がやらざるを得なかったと言う感じでした。「自治会広報」の原稿を作り、ガリ版に書いて印刷発行しなければならず、口だけの活動とは違う一番大変な役職で、もちろん後輩も部下もいません。

旧制高校の名残か、隣の都立大とともに学生の政治的な活動、言動が盛んであったところに、私はただ正義感だけの、ノンビリのノンポリで、思想的なバックボーンは全くありませんでした。

ときは学校群制度が導入されようとしており、校内全体に新制度に対する反対ムードが高く、私は書記長の仕事として、旧制以来の「伝統」を守ってゆこう、学校群制度に反対しようとの一文を書き、校庭の掲示板に貼りました。

次号からいろいろな人の意見を載せてシリーズ連載するつもりだったが、第一弾を読んだ他クラスの男が、掲示板に何といきなり公開質問状を発表したのだった。曰く「伝統」とは何か、そんなものはそもそもあるのか、あったら壊してしまえとのかなり手厳しい批判だった。

批判は勿論、議論にすら慣れていない私はこの「不意打ち」に困惑した。
事前にほかの役員に示しはしたと思うが、自分で作成し発表した意見記事だった。一人で抱え込んだものの、どう対処してよいか分からなくなってしまった。
仲間の役員たちからは責められ、もうどうにでもなれと、以後、広報活動をやめてしまった。

このことでは山中君ほか当時の役員に大変な迷惑をかけてしまい、我が高校時代の痛恨の思い出となってしまった。勝ち気でケンカ好きであったならば、絶対に負けるものかと相手に食らいついたのだが、私はそうではなかった。
こうして私の自治会活動は、カッコ悪い尻切れトンボになり、以後うかつに手をあげないよう、痛い教訓を得た。

山中君は、後々もこのことに触れることはなかったが、最近久しぶりにあった藤堂さんからクレームが出た。悪い、悪いと謝るしかなかったが、社会人としての経験を踏まえた今思えば、もう少し「チーム」として「危機管理」に対処してもよかったのではないかと思うが、先ずは私が未熟だったのだ。



━━━担任の黒羽清隆先生は、NHK教育TVの通信高校講座「日本史」で、高いレベルと明快で親しみ易い語り口により、日本史の魅力を全国に広め、後に静岡大学の教授になられました。

大学の授業に、自ら監修した歴史マンガを使用したことで話題になり、久米 宏さんのトーク番組(?)にも登場しました。久米さんは、われらの高校の卒業生です。

細部に至るまで、時代考証に基づいて描かれた漫画は立派な史料教材であると、持論を展開された黒羽先生の話術に、あの久米さんもたいそう愉快そうにしていました。


しかし先生は87年に53歳というお若さで亡くなられ、山中君とともに我がクラスは二つの太陽を失ってしまったのでした。

いつの日かクラス会で一泊旅行をしたら、台本の記憶を皆で辿り、寸劇で、竜馬と慎太郎のあのときのシーンを再現したいと思っていました。

黒羽先生には、得意の赤城山の国定忠治を再演してもらいたかった。

かなわぬ夢になりました。
                            

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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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