2011/05/20(金)01:11
私学の雄として常に並び比べられる早慶両校ですが、その創始者であるふたりの出会いはあったのでしょうか、人間関係は一体どんなだったでしょうか。


大隈候によれば、「福沢も大隈も物堅い武士的教育をうけ、性質もいささか似通っておれば、読んだ書も蘭学書、物理書、洋学書で、文明思想の注入をせんとする目的も同じ、大観すれば一心両体だった」そうです。


ところが、明治6年に対面するまでは、「気にくわぬやつと、腹に思うばかりでなく、口に出して云っていたそうです。向こうが云えばこっちも云う。勢い、衝突する」。


その頃、「大隈は権力のふるえる役人で、そのうえ書生気分がぬけていなかったから図太いことをいうと、福沢も偉そうなことを云って役人をくさし、両方で小しゃくにさわっていた」そうです。


「民間学者のあばれ者と役人のあばれ者、犬猿の間柄のふたりを会わせたらさぞ面白かろうと、いたずらどもが考えました。」


明治6年、上野天王寺の薩摩人宅で、ふたりは、「わけも知らされず、芝居でも見るような調子で引きあわされた」そうです。
そのとき大隈が35~6歳、福沢が40歳になるかならぬか。


「お互いに、これは福沢だ、これは大隈だと引き合わされて、名のりあったそうで、だんだん話し込んでみると、元来傾向が同じであったから、話があって、けんかはよそう、むしろ一緒にやろうじゃないかということになって、心やすくなった」そうです。


「軽蔑し、けんかしあったのが、意気相投じて交際しはじめたので、その交わりも深くなり、お互いに家を行き来し、奥さんやお嬢さんが酌をしてもてなしたそうで、まるで親族同様の懇意さになりました」。


大隈は、はじめは同輩として付き合いを始めたが福沢の人格と学問の素養に深く感銘を受け、ついには先輩として尊敬するようになったそうです。


大隈・福沢両巨頭のこの対面を仕組んだ連中に「大あっぱれ」です。

(参考、引用は「大隈重信は語る」より)


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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