2011/09/29(木)16:28
小学校の低学年の頃、昭和30年代、住んでいた官舎自宅に隣接する広大な土地に、団地の建設が始まりました。

工事の初期には、丸山(美輪)明宏さんが歌っていたヨイトマケの掛け声があちこちで響いていました。

高台にあった自宅の塀越しから見下ろすと、その敷地には、トロッコのレールが何本もひかれ、資材を積んだ、あるいは空の車両の後ろに一人か二人を乗せて、南側に傾斜してゆく敷地を面白いように下ってゆきました。
1両のときもあれば、2~3両かそれ以上連結していることも。


こどもたちは、遊園地の乗り物のように見えるトロッコを、塀の上から飽きずに眺め、乗りたくてたまりませんでした。
ある日、近所の仲間と二人、作業員に頼み込んでついに乗せてもらうことができました。
当時は安全管理も緩やかで、現在ではとても許されなかったでしょう、ヘルメットもなし、子ども用があるはずもなく。
とうの昔、工事現場でトロッコを見ることもなくなりました。

ガタガタ激しく揺れるトロッコの箱型貨車の中で、縁につかまって立ったままの乗り心地は極めて悪く、想像以上にスピード感があり、大きく揺られて、怖い思いがました。ジェットコースーに慣れた現代の子どもなら、楽しめたかもしれません。


工事現場には多くの車両と作業員や資機材があふれ、喧騒に満ち、子どもにとって出入りも、近づくことすら恐ろしく、以後は遠くから見ることになりました。

やがてトロッコが撤去されると、工事現場はいっぺんに魅力をうしないました。


その代わりになったのが、自転車コースターでした。

当時は、パン屋さんや牛乳屋さんが配達、営業に来ていて、若い店員が乗る業務用のガッシリとした自転車の荷台には、広い四角の木箱が据付けられていた。帰りの、空いたスペースに乗せてもらったのでした。


高台にある自宅前から小学校の横を通って、下の道路にぶつかるまでの緩やかな下り坂がコースで、ほんの1分もないくらいの乗車時間でした。
こちらはガタガタ、デコボコすることもなく、以外にスリルがあって快適でした。ときには、パンや牛乳ビンの音と一緒。

乗るのは男の子二人、私ひとりのこともありました。下りきってから、また坂道を途中まで登らせたことも。若い店員は快く応えてくれました。


配達がなくなったのか、じぶんたちの身体が大きくなって乗れなくなったのが先か、やがて自転車コースターは姿を消しました。



黒い頭髪をオ-ルバックにきめていた、気だてのよいパン屋の店員は、、何かわからない香りがしていました。
今では、それはワキガの匂いだったと思いますが、瞬間の、不快ではない、健康的な匂いでした。私は長い間、それはパン屋さんの匂い、香りなのだと思っていました。



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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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