2012/01/24(火)13:29
もし、あの日、商工会議所の女性職員にお会いしていなかったら。
もし、その職員の親身なアドバイスがなければ。
このブログやHPは、まだ存在していなかった。
その後に続く出来事もなかった。

黒羽清隆先生。元静岡大学教授。
日本史、歴史学の教育史上で大きな足跡を残され、
NHK教育テレビの「通信高校講座 日本史」では、
魅力あふれるその語りにより、全国に黒羽ファンを作りました。
私の高校時代の担任で恩師でした。

先生が、53歳という働き盛りで逝去されてから、25年近い2010年4月。
記念碑ともいえる一冊の本、『黒羽清隆歴史教育論集』が出版されました。


高校生のときにNHKテレビ講座を見て以来、黒羽先生を師と仰ぐ八耳文之先生が、
加藤正彦先生とともに、ご苦労の中でまとめあげられたのです。

やはり、黒羽先生の影響で教職を選んだ、高校のクラスメイト樋浦(旧姓山田)敬子さん
、黒羽先生歿後も奥様と親交のあった彼女によって、この本を目にいたしました。

僥倖にも、八耳先生が、私の書きとめた黒羽先生についてのブログをご覧になり、
昨春、思いもしなかったご対面が実現。

そして、今度は八耳先生のご縁から、長年歴史教育に携わり、
早稲田大学でも教鞭をとられている、滝澤民夫先生をご紹介していただき、
以来、心温まる交流を続けさせていただいております。


「教師、先生」といえば、私の高校で、一年下の学年にいた駒田和幸さんも、
私のブログを見たとのことで、昨年、「3つのオレンジへの恋」に見えました。

駒田さんは、桐蔭学園高校の日本史の先生です。やはり、高校時代に
黒羽先生の授業を受けて、触発されたそうです。

高校時代のことや黒羽先生のことを駒田さんと、懐かしく語りました。
後日、駒田さんから、お礼のお葉書をいただき、お返事を書かねばと思いながら、
日にちだけが過ぎてしまい、非礼をお詫びしなければなりません。

昨日、新聞のテレビ欄を見ていて、NHK教育テレビの「高校講座 日本史」の欄に目が。
そこには駒田和幸さんというお名前。
もしかしたらあの駒田さん?
ネットで検索すると、やはりそうでした。

あのとき、自分はとても黒羽先生には及ばないがと、謙虚に話されていましたが、
みごとにNHK「高校講座 日本史」を受け継いでおられました。


高校の同級生、山本郷夫君は、教職在職中に若くして病に倒れ、
黒羽先生が、痛切極まりない弔辞を送ることとなってしまいました。

黒羽先生は、著書「鉄砲足軽ひとりごと抄」のあとがきでも、
「クロハ先生のようになりたい」と、教師になって、
「きびしく多彩な教育努力をつづけつつ、不幸にして中道に仆れた」
山本君に、こころからの弔意を捧げられました。

八耳先生のご好意で手にしたこの本により、私たちは、
「クラスで黒羽先生に最も愛された男」を知ることとなったのです。

以前ブログで、我がクラスには黒羽先生と山中塁君と二つの太陽が
あったと書きましたが、クニオちゃんも太陽だったなあ。
こんなクラスは珍しい!。

太陽がまだ空の高い位置にある時期に、山本君が亡くなった頃は、
クラス会が定期的には開催されていませんでした。

豪快な山男で、人気者だった彼は、長く東京を離れていたこともあって、
大人になって新たな付き合いが始まることもなく終わり、残念です。



一方、早稲田大学の文学部では、黒田さんという先生がその授業の中で、
絵画や、絵図から歴史を読み解く黒羽先生のことを語っていました、
と教えてくれたのは、当店バイトの文学部女子学生、なっちゃんでした。


教育門外漢の私なんぞが知らない、黒羽先生の「お弟子さん」は、
一体、日本中でどのくらいいることか。


八耳先生も滝澤先生も、駒田先生も、日頃、学者、先生とはまず縁のなかった私が、
何故か、全く出会うはずもなかった先生方の輪の一端にある!

みんな、黒羽先生の熱い授業から生まれたのです。


そして、私のこの拙いブログは、ひとりの女性職員との出会いから始まりました。
すべてが、ここしかないという絶妙のタイミングでした。(山内通生)



(当ブログでの黒羽清隆先生関連の記事)

・ 11/3/27   黒羽清隆先生微笑む
・ 11/3/10   三たび黒羽清隆先生
・ 11/3/09   再び黒羽清隆先生
・ 11/2/19   座談の達人黒羽清隆先生
・ 10/12/30  我が龍馬山中 塁君


検索フォーム

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード

QR