2012/10/23(火)17:44
ご機嫌がいいとき、児雷也はうれしそうに私に言った。
「モーツアルトみたいな顔しやがって」。
左側から少しはれぼったい顔で描かれたモーツアルトだろうか。

あるときには、私の頭、後頭部を手で触り愛でながら、絶壁頭ではない、
きれいな丸いかたちをしていると、変なお褒めをもらったこともあった。

児雷也はまことに憎めない魅力を持っていた。
社外の仕事でペアで動いたあと、お定まりの一杯飲んで帰ろうかになる。
まずはビールを頼み、お疲れ様とエールの交換。

私も、その営業部では経験上は「先輩」になるので、早く部に馴染めればと、
飲みながら組織の現状や仕事の概略等を児雷也に説明した。

私と違い上司にもズケズケともの言うようにみえた児雷也は案外、正義の味方
かも知れず頼もしく思えたし、何よりも新たな飲み仲間、おともだちができる
ことは嬉しかった。


仕事の後の一杯は美味しい、どうやら児雷也は意外とイイオジサンらしい。
彼の長年鬱積した氷の心は、我らの、私の温かい歓迎で氷解したと思った。

甘かった!。

児雷也の凄まじい攻撃が始まった。

その日、日帰りの出張先でのこと。
帰りの新幹線に乗る前のひととき、駅前の店でビールに続き日本酒を飲み始めて
しばらくすると、児雷也の顔の表情が殺気を帯びてきた。

何か言いたそうだ。

児雷也のその言葉を初めて聞いたとき、私は何を言われているのか意味が分らず、
思わず絶句した。

彼は腹の底から絞り出すような、芝居染みた声で言った。
「お前は本当にきたねえヤツだぜ」。
「お前みたいなきたねえヤツ、オレはこれまでに見たことがねえよ。本当だぜ」。


まだ付き合い始めたばかり、感謝されこそなのに、一体、私がどんなことをしたと
いうのだ!。

店を出てからも歩きながら暴言は続き、新幹線乗り場に向かう長いエスカレーターで、
彼は私を突き落とさんばかりに組みついてきた。
ここで落とされたら、硬いステップの尖った角や溝で大ケガをすると思った。
怖かった。

プラットホームに出た私は、彼の手を振り切り、ひとり別の車両に乗り込んだ。
もうお前のことは一切知らん、勝手に暴れるがいい!。


翌日、児雷也は何事もなかったようにケロッとしていたが、その後も深酒をすると、
私にも、ほかのひとにも噛み付いた。

私たちの部では飲んべーが多かったので、同じように飲んベーの彼とはどうしても
一緒の機会が多くなってしまう。

彼を入れたくない日は、彼の姓をもじって「今日はタレでいく(シオ抜き!)」という
合言葉もできた。彼の高校、大学時代の同級生による命名だった。

彼によるひどかった仕打ちの多くは、今ではもう忘れたことのほうが多い。

忘れられないひとつにタクシーでの事件があった。
助手席に座っていた私に、彼は後部座席から暴言の吐き通し。
私もいい加減にしろと、ときどき反発した。

彼はついには後方座席から身を乗り出して、当時まだ多かった私の髪を鷲掴みにしながら、
高速道路を走るタクシーから降りろと言った。
無理やり窓から放り出されるかと思うくらいに凶暴だった。
どうしようもなく不愉快だったが、私が先に下りるまでジッと嵐に耐えるしかなかった。

あるときには、ゴルフコンペ後の新幹線の中で泥酔して、OBである先輩にからみ始めた。
慌てて抱きかかえるようにして席を移動させたが、お前がしっかり見ていないからだぞと
私がドヤされる始末。

赤木君は車だったので、この騒動に巻き込まれることはなかった。
私も車のはずだったが、運悪く駐車場のシャッターの具合が悪く車が出せずに、
急拠、新幹線となったのだった。

それでも私には、自分は児雷也が頼る数少ない人間だと思っていることが分っていた。
いつも迷惑をかけられる危険人物だが、「素面」のときや、酒で豹変するまでは、
憎みきれない何かがあった。
いっしょにいれば、ついお世話をせざるを得なかった。


その後も児雷也の暴走は続き、上司に、さらには役員にも噛み付いたことがある。
地雷也は社の内外で、よくこれまで事故も事件も起こさずに、無事でいられたものだと
心底私は思っている。

やがて私は社内異動があって地雷也とのお付き合いも減っていった。
正直ホッとした。
そして児雷也は定年で退職していった。


何年か後、私が久しぶりに児雷也の声を聞いたのは、ある春の頃、突然かかってきた
電話だった。
「いま東京の病院に入院していて、近々退院するからそれまでに見舞いに来ないか」。
屈託のない声だったが、自分は癌を患っていると言っていた。

私が病室に顔を出すと、彼は初対面のひとを必ず惹きつけてしまう例の笑顔で、
何のわだかまりもなく喜んでくれた。
以前、飲んだ後の深夜、タクシーに乗って何度もお邪魔した彼の家でお会いした、
美しい奥様もおられた。

彼は十分に元気そうで、自分で調べたという病状や今後の治療予定について説明してくれた。
彼の面目躍如たる一面である。

今後は自宅のある横浜のほうの病院に移るという。
私は、店のことや、最近はあまり会うこともなくなった会社の仲間たちのことなどを
話すと、彼は入院していることを彼らには言わないでくれといった。

彼が入院のことを話したのは彼の学友数人のほか、会社関係では私と赤木だけだった。
私は彼の気持ちを察した。

帰り際にこう言って励ました。
「善人は長生きしないが、地雷也は悪人だろう。絶対大丈夫だから」。
「このヤロウ」と彼は苦笑いした。


次の年のゴールデンウイークに私と赤木は、横浜の私鉄沿線にある彼の自宅に招かれた。
彼は少しやつれていたが元気なように見えた。
我々は缶ビールをご馳走になりながら四方山話しをした。
彼はもうアルコール類を口にしなかったが、とても嬉しそうだった。

秋川雅史さんの「千の風になって」のCDをかけて、いい曲だろうと言っていた。
彼のお気に入り、モーツアルトの「アイネクライム」も軽やかに流れた。

自らはカラオケでマイクを握らされると、「ガオー」と一声吼え席に戻っていった。
饒舌なのに決して歌うことはなかった児雷也。

帰り際に庭で記念写真をとった。
海外駐在中であった赤木が次の夏休みに帰国したら、また会おうと約束。
児雷也が会社の中で心を許した二人だ。
また会おうと言ってくれる気持ちが今はうれしかった。

私は児雷也に少しでも精がつくようにと、最上級のタマゴを送った。
しかし、私も楽しみにしていた真夏の再会が実現することはなかった。

児雷也は雲の上のひとになった。


いろいろな思いが去来した。

生前、彼から、今度、妻と一緒に私の店に行くからと書かれた年賀状がきた。
私をとりあげた新聞記事やテレビを見たと、電話がかかってきたこともあった。

私は彼がまだ元気だと思っていたから、これまでの苦い思いがあるから、「悪人」だから、
素直にはいどうぞとは言えないで、わざと素っ気無い態度をとっていた。

それでも、児雷也は「最後の友人」のひとりに私を選んでくれたのだ。


彼の葬儀の会場で「児雷也の世話は赤木にまかせていたので上手く抑えることができた」
と、自分の采配を満足気に語っていた元上司。
かつて鬼軍曹と呼ばれたこともあるその上司に私がよく仕えていると、生前、児雷也が
賛嘆してくれた。

元上司のその言葉は、私のこころの中で限りなく残酷に響いた。
それは、頼まれも命じられもしないのに損な役割を引き受けてきた私に対して、
またひとつ児雷也が仕掛けた毒であった。

「あばよ。最後まで悪かったな」。
生花の中、涙で霞む遺影が笑いかけている。
モーツアルトのレクイエムが追いかけてきた。

                         (完)


(この物語はいくつかの事実をもとに創作したフィクションです)


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プロフィール

早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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