2013/02/26(火)16:30
いうまでもなく、少年時代の英雄は「月光仮面」であり、巨人軍の長嶋、王の両選手。
子どものとき、近所に大の巨人ファン一家がいて、その母親親子と一緒に後楽園球場に
行きました。

当然一塁側で、外野席に座りました。
ライトには坂崎選手の骨っぽい肩の張った背中、いかついその顔がよく見えました。

世界の王選手はまだ若く、よく三振をしていたので、私もつい「王、王、三振王」と
叫んでしまいました。
そのとき、こどもだったとはいえ、王さんに対してとても悪かったと思いました。



数年前、大隈講堂で王さんの講演会を聞く機会がありました。

王さん自身も、荒川コーチ鬼の特訓で一本足打法が開眼するまで「王、王、三振王」
と、よくヤジを飛ばされたと云っていた。
当時はずいぶん悩んだそうで、心無いヤジはいけませんでした。

むかしから王さんの人間性の素晴らしさ、ご立派さは誰もが認め、敬服するところ。

その王監督のもと、WBCであのイチロー選手が燃えないわけがなかったが、王さんに
よれば若いころは決して「優等生」だったわけではなく、諌めてくれた父親代わりだった
お兄さんの影響が大きかったそうだ。



昨日、BSテレビでは「長嶋選手物語」を放送していた。
デビューから引退まで、チャンスに強かった場面を中心によくまとめていた。

長嶋選手はやはりカッコよかった。
映像を見ると、少年時代のように胸がときめく。

長嶋選手は、いまから見るとゆったり目のユニフォームも絵になり、三振だって、
悪球打ちの度肝を抜くホームランだって、独特の一塁へのスローイン、走塁も、
すべてのシーンが華やかで特別だった。

長嶋と王が一緒に写ったシーンはまるで戦艦大和と武蔵が並んだようで豪華だ。

天才と言われるが、人前で猛練習している姿は見せなかったという。

なかなか気難しい落語界の天才、立川談志との対談のなか。
「サードの守備位置から二塁手土井の前まで飛び出して、セカンドゴロを二本もさばいた
三塁手は自分だけだろう」。
長嶋さんが明るく語ると、さすがの談志師匠もあきれていた。

長嶋さんのあの笑顔、言動には誰もが魅了されてしまう。

伝説になった、有名な引退スピーチは、関係者による原稿があったそうだが、長嶋さんは
そのとき、ほとんど即興で自分の言葉で語ったとのこと。
見ていた日本中が涙し、王選手はタオルで顔を覆ってベンチでひとり号泣していたという。

たとえ巨人ファンでなくても、王、長嶋のあの時代を知っているひとは倖せでした。

あるとき、私が車で東京女子医大に通じる道路を通りかかると、日ごろ混まない道が珍しく
大渋滞して往生したことがありました。

「長嶋(元監督)倒れる」の報に日本中が震撼した日で、空にはヘリが飛び、報道関係車が
殺到したためでした。


長嶋さんも王さんも大病しましたが、幸いにお元気で活躍されている姿は、今でも
日本中に元気効果をもたらしてくれます。



むかし、お菓子の「不二家」の景品でプロ野球選手のプロマイドが当たる商品があった。
私は、長嶋選手が一塁にスローインする右手の伸びた美しい瞬間をとらえた、それは見事な
プロマイドが当たった。
上半身アップの横長の画面、もちろんカラーだ。

ところが、以前、後楽園球場に一緒に行った、遊び仲間だった一歳下のわがまま坊主には、
長嶋選手のもう一種類ある、やや平凡なショットのプロマイドがまた当たってしまった。

そして、彼が二枚もつプロマイドは私がもっていないのだからと言って、私の「お宝」と
それと交換すればいいと云って、私の手から強引に奪ってしまった。
私はプロマイドが破損するのをおそれて、力を抜いてしまったのだ。
まさかという油断もあった。

私もイヤだと頑張ればよかったが、母親に似てお人よしで争いが苦手であった。
そいつの家の机の前には、長嶋選手の代名詞ともいうべき瞬間を写したそのプロマイドが
飾ってあった。


少年時代の、生涯忘れられない悔しい事件のひとつだった。



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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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