2013/10/31(木)21:04
「浅草をばかにするんじゃないよ」
「してませんて 浅草好きなんだから」

こんな会話を、私は会うたびに何回繰り返したことか。

相手は泣く子も黙る、天下御免の「浅草おかみさん会」(元会長)の富永照子さんです。
私だけに云うのか、だれにでも云うのか、単なるクセなのか。

私が総合商社に勤務していたころ、得意先が浅草の繁華街六区に有していた劇場跡を再開発しようと、私は度々浅草を訪れるようになりました。


地元老舗蕎麦屋「十和田」の「おかみさん」である富永さんに挨拶しないわけにはゆきません。
私は、劇場ビルを所有している得意先の若いM常務に案内されて、恐る恐るおかみさんのところに顔をだしました。




名刺を渡して挨拶をすると「フーン」という感じで、いきなり「浅草を馬鹿にするんじゃないよ」と見舞われました。

それが初対面の挨拶でした。

私は小学校の時に遊びに来たし、「大宮デン助」の下町人情劇や「森川信劇場」など浅草喜劇はテレビでよく観ていて、嘘でなく「日本の顔」浅草が好きでした。


おかみさんは、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小沢一郎が好きで、イトーヨーカドーの鈴木社長やダイエーの中内会長など政財界の超大物クラスに、文字通り出入り自由の女傑。

私が親しくしていたM常務がおかみさんに信頼されていたこともあって、おかみさんも私を認めてくれるようになりました。



先日、おかみさんが久々にBSテレビ出演されていたのを、懐かしく拝見しました。

浅草ジャズ祭り、サンバカーニバル、ロンドンの2階建てバスの運行など、およそ旦那衆が思いつかないことを、「おかみさん会」が実現して浅草の復興に結び付けたこと。

下町っ子らしく言葉ではきついところもあるのでしょうが、人情味溢れる面倒見のよいところが紹介されていました。


結局、私の劇場再開発計画は実現しませんでしたが、私が会社を辞めたあとも、飲食を始めようかと思い始めた私はときどきおかみさんを訪ね、有形無形のお世話になりました。

おかみさんの縁で、アサヒビールの重鎮で名誉顧問の中條高徳さんの知己を得たり、店舗ノウハウを豊富にもつ盛岡の製麺会社の若社長をご紹介いただいたことは、大会社の組織を離れ心細い思いの私にとってどれほどありがたかったことか。

私がオムライスの店を始めると聞いたおかみさんは、心配しながらも「卵の液卵を使うなら紹介するよ」と云ってくれました。卵の手配はついていたのですが、お心遣いには感謝したものです。

私が「3つのオレンジへの恋」をオープンするまえ、早稲田商店会への顔見世・ご挨拶として開いたセレモニーには、私の会社時代の役員や上司のほか、おかみさんや中條さんにも駆けつけていただきました。

おかみさんが力を入れていた浅草「振袖さん」にも二人来てもらって、会場は華やかな盛り上がりをみせました。

中條さんはビールを飲む前に歌われるという、本場ミュンヘンで仕込まれた見事な歌唱をドイツ語で披露してくださいました。


当日もそのあとも、中條さんの号令の下、アサヒビールさんには大変なご高配をいただきました。

「3つのオレンジへの恋」では、暫くは生や瓶のビールで貢献いたしたと思いますが、数年後にはランチタイムのみの営業となったため、中條さんやアサヒさんにまだ十分に恩返しができていないことを申し訳なく思っています。


私は、たまに最近の自分の写真を見ると2002年のオープン当時から比べ、それなりに歳をとったと思いますが、先日、テレビで拝見したおかみさんは相変わらず幼女のようなお顔で、少しかすれ気味のあの声や話しぶりを、本当に懐かしく拝見いたしました。


私は、会社を辞めて肩書きも何もない時期、たった一人の人間として動き回り、多くの人と知り合い、支えられてお世話になったことかと、画面のおかみさんを拝見してあらためて思ったことでした・・・。


店を開いてからは、悪質な人間に出会ったこともあり、自分の判断ミスで悔しい失敗もたくさんありましたが、何とかこれまでやってこられたのは、より多い、良いひとたちとの出会いがあったからです。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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