2015/07/24(金)18:49
2020年東京オリンピックの開催決定が伝えられた日。
あるコンサート会場では、アンコール曲演奏の前に小林研一郎氏が聴衆に祝意を述べると、会場からは賛同の拍手が湧いた。
敬愛するマエストロが喜んでいるのだからと、私も拍手したが正直な思いは、20パーセント程度の同意だった。日本も世界の情勢も大きく変わってしまった現在、奇跡のような、あれほどのオリンピックは、もう絶対できるはずはないという思いからだった。

昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックは、敗戦からの復興立ち直りを告げるもので、当時中学三年であった私の、もっとも神聖な出来事思い出のひとつであり、当時を生きた日本人にとっても大切な記憶であったと思う。

開会式前夜の激しい風雨。
翌朝の東京は、雲一つない快晴だった。
観客席の上方が大きく開けた国立競技場の、フィールドから望む空の大きさときたら並大抵ではないという。その日の青空はどんなに大きく美しかったことだろう。

参加各国の国旗がたなびく競技場に、陸海空自衛隊合同の大吹奏楽団が荘重なファンファーレを奏し、感動的な東京オリンピックマーチが繰り返し演奏され、響き渡った。
各国選手団が続々と入場するなか、赤のブレザー、純白のズボン、スカート姿でひときわ整然と入場したのは、嗚呼!堂々の日本の大選手団。

今でも私は、ロス五輪のそれのような華々しさはないものの、朝日に映える櫻花のようなファンファーレと、古関裕而作曲の魂を震わせるこの名行進曲を耳にするたび、聴いたその瞬間に、いや、メロディを、あの日の光景を思っただけで胸が一杯になって涙があふれてくる。

ブルーインパルスが上空に描いた見事な五輪の輪やハトを放つだけ・・・子供たちの鼓笛隊も登場していただろうか、ともかく極めてシンプルな開会式ではあったと思うが、オーソドックスなマーチ行進曲が演奏される中で整然と行われた入場行進、初めて開催国の言語で歌われたという、オリンピック賛歌の日本語の歌詞の何と美しかったことか・・・厳かな式典だけで十分なくらい感動的だった。

オリンピックの入場式が巨大なショーと化しド派手になったのは、ロサンゼルス大会からのようだが、以後は漫然としたショーを見せつけられるようで長すぎて、テレビで見ていても全部を見るのには根気と見続ける勇気が必要だ。


スポーツの聖地と言われたこの「国立」の隣、代々木には、日本の社を思わせるような、直線と曲線の組み合わせが美しい、丹下健三設計の代々木競技場が、すっきりと品よく今も佇んでいる。

それに比べて、SF映画にこそふさわしい新国立のデザインは二つとも嫌いだった。評論家の大宅映子さんは、「生ガキ」のまえの最初のデザインは、とても口にはできない人体のある部分に似ていて、ひどいものだと嘆いていた。生ガキもまた海の中で泣いていることだろう。

私は思い出した。
かつて、浅草のアサヒビール本社の巨大な金色のオブジェが、外人設計者がワルふざけをしたようで、なんでこんなものを採用したのかと話題になっていたことを。優秀な日本人設計者は大勢いるはずなのに、選ぶ側に能力がないのか、何か裏があるのか。

ともかく新国立のあのデザイン、プランを決めたのは一体誰に責任があるのか、よくわからないと言う。 

「おぬしもワルよなあ」

スキャンダルと言ってよい一連の騒動と醜態は、有森裕子さんが涙で訴えたように、選手、アスリートのためでなく、利権役得と札束のためにうごめき暗躍した輩がいたことを如実にしめしている。何と、設計関連だけですでに50億円が支払われているという。悪代官と越後屋だらけではないか!。

64年の東京オリンピックに感動した団塊世代の少年も、今は早くも65歳になった。

5年後のオリンピックでは、小学生や中学生、高校生たちの一生モノの感動の思い出となるよう、グロテスクでない、様式美あふれるプランを、神宮の森に相応しい聖地を、あらためて真剣につくってほしい。

いろいろ問題はあっても、私は日本という国が好きだが、本件は本当にひどい。
日本はここまで劣化したかと、すべての関係者の無責任体制に対して、元少年は怒り心頭である。

ここまで来た以上、オリンピックは成功させなければならないが、今回だけは、終わりよければすべてよしではない。
新競技場を作る前に、決して消すことのできない汚点を作ってしまった。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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