2015/10/24(土)19:38
幼かった日、まだテレビが普及していなかったころ、映像は手の届かぬ世界。
大相撲の微妙な判定は「分解写真」で行っていた。

小学校1~2、3年の視聴覚授業では幻燈・スライドと映画が併用されたが、始めはスライドの方がメインだった。スライドは先生による音声解説付きで手作り感が一杯。動かぬ映像ではあるものの、写真が一枚一枚切り替わってゆく様子は十分に魅力があった。画面に気をとられていると、カシャッと音がして映像が替わっていた。

授業時間に教室で見る映画はさらに大きな楽しみだった。
モノクロの映画が多く、たまにカラーだと、色彩画面の明るさに歓声が上がった。教育映画がメインだが、童話や民話・昔話しのマンガ、アニメのときもあって、勉強をしないですんでとても得をした気持ちだった。学校で(娯楽)映画を観ていてよいのだろうかとチョッピリ思ったが、授業の一環だ。

黒いカーテンがひかれ、スイッチ近くに座った生徒によって照明が消される。本編の前、画面に出てくる数字をみんなが待ち遠しい思いで秒読みした。冒頭の映画会社名の画面では東映の波しぶきが一番人気で、ザブーンとクラスの元気ものが声をあげた。今もそうだろうか。

「小学○年生」・・・学習雑誌の付録についた.幻燈機は、次号の予告を見て発売日を待ちかねていた。手にしてみると、組み立て式、紙製ボディの粗末なものではあったが大事な宝物。いそいそと部屋のカーテンを閉めて電球のスイッチをいれた。スクリーン替わりの敷布や、襖に、風景や動植物などが十分に豪華な映像として映し出された。ちゃちなものでも数少ないスライドがカラーであると、それだけでうれしかった。幻燈という言葉からして夢が感じられた。


桂歌丸さんではないが、月刊誌の豪華付録の数は毎号どんどん大きく膨らんでゆき、一ケタ台から二ケタ台となり、最後には「何十大付録」と、数えきれないくらいの、も~のすごい数になっていった。当然、期待外れもいっぱいあった。

雑誌や学習事典の絵図は、まだ写真やグラビアが少なく、挿絵イラストであることが多かった。もちろんモノクロだ。船体を海上に浮かせて高速走行する水中翼船は、夢のような船舶だった。

表情豊かな挿絵によって、空から突然魚が降ってきた話し(たつまきが)、アマゾンの人が乗っても沈まないタライのように大きな葉が、雪男や宇宙人、空飛ぶ円盤が、ピラミッドを発掘した人の連続怪死~ファラオの呪いが、船にからみついて沈めてしまうほどの巨大イカが、前世の事を詳細に憶えているこどもが・・・ひとの生まれかわりでは、たしかダライラマも・・・日本や世界の不思議現象や珍しい動植物、風景などが、絵であることによって、いっそう好奇心をそそられたものだ。



暗くしたついでに、夜光塗料を塗ったオモチャ・・・青白く浮かび上がる、不気味な般若や鬼の、プラスチック製の小さな面を取り出して見た。強い光を発するわけではないので、結局タンスの中の暗闇で楽しんだ。
「フフフ!」と言いながら顔の下から懐中電灯で照らすと、見慣れた顔が別人のように怖くなった。

雑誌の本体や付録についたパラパラマンガは、当時の貴重な「動く映像」であり、自分でも作ってみるが、製本ができないので短いものしかできなかった。

動かぬ映像といえば、紙芝居があった。
オジさんの拍子木が合図だったが、私が住んだ官舎の界隈にはあまり来なかったので、来ることがわかっている地区に出向いた。自転車の荷台の上、駄菓子を収めた木箱に組み込まれた扉付きの「小劇場」では、かなり前からあるらしい「黄金バット」がまだ登場していた。

濃い目の色絵の具で描かれた紙芝居。
それは江戸川乱歩の「少年探偵団」の単行本の表紙や挿絵のようで、教材用紙芝居にはない、クセになりそうな毒のある、強烈な魅力があった。

私がときどき駄菓子を買わないでいると、オジさんは見逃さず、追い払われたものだ。
やがて紙芝居を卒業していった。

いつでも自宅で読める本やマンガはありがたかった。

このような生活は、小学校3~4年生になってテレビが登場するまでの短い間ではあったが、ラジオを含めて、豊かな精神情緒の形成にけっこう役立ったと思っている。同じころ、小学校では鴻巣静代先生が、毎日のように読んでくださった童話や民話、日本神話物語、イソップ物語、ギリシャ神話、「ロビンソン・クルーソー」「十五少年漂流記」などの本に、子どもたちはどんなに聞き入ったことだろう。


暑い真夏の夜は、そこだけが別世界のようになった蚊帳を張って寝んだが、快適な電気冷蔵庫もクーラーもなかったものの、今思えば、このような体験ができたことに感謝してもよいくらいだ。

もうしばらくすると木枯らしの季節がやってくる。
うんと小さいときには火鉢や炭火のこたつで寒さをしのいでいた。やがて暖房機器はガスストーブや電気ストーブに変わったものの火力はまだ弱く、なかなか部屋が暖まらず、ストーブの前から離れることができなかった・・・。
 
幼稚園に通っていた頃の寒い朝。
お弁当用のパンを買いに、近所のパン屋さんに立ち寄ると、若いお姉さんや店のひとが・・・自分たちは忙しく働いているのだが、私を奥の部屋のこたつ・・・掘りごたつに招いて、温かいお茶を飲ませてくれるのだった。恥ずかしがり屋だった私は、「よその家」が照れくさくて窮屈な気もするのだが、断ることもできず、かたちだけ温まらせてもらうと、いつも早々に幼稚園に向かった。

幼いために、十分に感謝の気持ちを伝えることができなかったが、心のなかではとてもうれしかったことを、今でもはっきり覚えている。「川上パン店」のみなさん、あのときはありがとうございました。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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