2016/02/27(土)18:27

長閑であったあの頃、放課後になると小学校の正門前はちょっとした露店のようでした。アイスキャンデイやアイスクリイムなどの食べ物類、竹ヒゴ飛行機、地球ゴマから横綱鏡里などの相撲力士、卓球日本の荻村伊智朗らの絵が描かれたメンコ、ベーゴマ、ビーズ、ビー玉にいたるまで、ありとあらゆる玩具類、学習本・マンガ・小説、さらに当時、子どもの間で人気のあった記念切手に至るまで、いれかわりたちかわりで業者が売りにやってきました。

ここで私は「安物買いの銭失い」にひっかかってしまったのです。
ある日のこと、正門前に座り込んで「店」をひろげていた男が、「ニュースや新聞で知っていると思うけど、勤めていた工場が最近火事になって」、会社からは給料替わりに、焼け出された製品が支給されたのだといいいます。

この販売スタイルは街頭の一角でも見たことがあった。たしかに当時は工場の火事がよくあって、多聞寺橋の近くにあった山本オブラートの工場も焼けたので、そういうこともあろうかとつい思ってしまいました。男は、本来、高級品なのだがそんなわけだから安くていいからと、いかにも火事場で水を被った物のような中から一本を取り出して雑巾でふき取ると、意外にきれいな万年筆が現れたのでした。

そろそろ万年筆が欲しいと思っていた私は、すぐ近くだった家に戻って母からお金をもらって、初めて自分の「万年筆」を手にしたのです。ところが友人の家に遊びに行ったときに、そこのお母さんに「これいくらだと思う?」と自慢げに見せたところ、「ちゃんと書けるの?」と言われてしまいました。

私はほんの少しの間、良いものを安く買えたという満足感に浸っていたが、友人のお母さんが言ったとおり、その万年筆はほどなくしてインクが漏れてきて使い物にならなくなってしまいました。たしか小学校六年生のころ・・・・最高学年となり、もうずいぶん大人になったような気持ちでいたのです。

遡れば、世田谷区立多聞小学校入学式の日。
私の家は、静かな時間帯には学校の始業開始ベルがきこえてくるほど至近のところにありました。ふだんは家から近い、朝夕の登下校時のみ開く小さな東門や、北側の通用門を利用するのですが、この日、スーツ姿で正装した母は少し遠回りをして、家から一番遠くにある正門をくぐりました。
入学前から遊び場だった小学校でしたが、私もさすがにこの日は正門から入りたいと思い、受け持ちの先生はどんな先生だろうと不安な気持ちを抱きながら、母と一緒に校門に掲げられた国旗や入学式と書かれた立看板を目にしました。

式は無事終わりましたが、父兄母親も一緒の記念写真撮影ではずいぶん時間がかかった記憶があります。そして教室から持ち出された木の椅子が並べられた校庭でクラスごとに分かれると、担任の鴻巣静代先生という、とても優しそうな女の先生がご挨拶をされました。私は怖そうな男の先生でなくてよかったと、ひと安心したものでした。

先生は、私たちと出会ったときから眼鏡をかけておられたと思っていましたが、卒業記念文集に生徒が書いた文章を読むと、入学式から暫くの間は眼鏡を使用していなかったようで、そのお顔立ち、お人柄ともども、私の母のイメージに重なった思いがしたことを思い出しました。後に先生が眼鏡をかけて初めて教室に入られたとき、私たちは眼鏡をかけない方がいいと思いましたが、やがてすっかり馴染んでしまい、時折り眼鏡をはずす先生の顔が変に思えたものです。


小学校では、私たちより上にも大勢の生徒がいて教室の数が足りないために、入学式の日に新入生が自分たちの教室に入ることはありませんでした。

翌日からの授業は、午前中の早番と午後からの遅番の二部制で、一つの教室をふたクラスで使用したのです。このことは私たちの思い出として強く残り、卒業文集のなかで鴻巣先生もふれられています。私は幼稚園には1年間通ったので、遅番だと午前中はもてあまし気味となり、ラジオの「歌のおばさん」や「お話し出てこい」を聞いていても、何か落ち着かない気がしたものでした。

入学早々、私は、共用で使い始めた教室の「自分の机」の中に、つい新品のクレヨン24色セットを置いてきてしまいました。
その翌日、少し心配しながら教室に行くと、未使用だった大型のケースは影も形もありませんでした。先生からは、両方のクラスに、間違って持って行ったひとは戻してくださいと伝えてもらいました。しかしついに名乗り出てくることはなく、もう一度・・・今度は12色でしたが、再び買いそろえてくれた父に対して申し訳ない思いでいっぱいでした。

今も変わらぬデザイン意匠の大型の黄色いケースの裏には、父が私の名前を書いてくれていたのに、二部授業ならではの「盗難」という洗礼を入学早々に浴びてしまったのでした。


先生が担任していただいた3年間、日本や世界の民話や童話、絵本、名作などを実にたくさん読んで聞かせてくださいました。毎日、学校に来て先生の朗読やお話をきくのが楽しみでした。学校とはこんなに楽しいものなのだと思いました。

先生が読まれた本の裏表紙には見慣れない苗字、姓が書かれたものもありました。先生が結婚される前の旧姓だったのですが、私たちの多くは鴻巣先生は最初から鴻巣姓だとばかり思っていたのでした。家に帰って母親にきいてみると、やはり旧姓があり、私は今の姓の母親がよいと思ったものです。

私は先生が読んでくださって特に面白いと思った本を、家でも何冊か買ってもらいました。
今でも手放すことなく持っている講談社の『日本神話物語』では、古来伝承の冒険物語に心を馳せ、人間の生と、特に死について教えてもらいました。イタリアの少年が小学校生活や友情を描いた日記『クオレ物語』は、先生が読まれた本と同じものではありませんでしたが、それぞれ懐かしくて今でもときどき手に取ることがあります。


これもかなり前のことになってしまいましたが、美智子皇后さまが少女時代に愛読されていたという、日本や世界のお話しの本二巻が復刊され、私も買わせていただきました。そこには「イワンのばか」など鴻巣先生が読んでくださった懐かしいお話もたくさん入っていました。優れた日本唱歌の歌詞がそうですが、それらの物語は必ずしも子どもレベルに合わせた心地よいものではなかったのですが、それでいろいろと考えさえられたように思います。

先生のご主人である鴻巣良雄さんもまた小学校の先生であられ、現在の尾木直樹さんのようにNHKラジオやテレビの教育コーナーによく出演されていました。私は、夏休みの時などにテレビでそのお顔を拝見させていただきましたが、やはり眼鏡をかけられ、隙のないきっちりとした風貌、几帳面でていないな話し方であったように思いました。しかしそれはNHK放送用のお顔であって、ふだんは私たちの鴻巣先生のようにお優しい方であったろうと思います。


つぎの一文は、高学年になった私たちを受け持つことのなかった鴻巣先生が、卒業文集に寄せられたはなむけの言葉です。文集の文字は印刷屋のガリ版、手書きですが、その題字は、流れるような女性の筆跡のようで、はっきり憶えていないのが残念ですが鴻巣先生ご自身の字体のように思えます。

先生の授業では、ノートの使い始めの注意として必ずトビラに空白の一ページ設けることだとか、作文の原稿用紙の題字の大きさや名前の配置、文章の頭を一字下げることや、段落、句読点の打ち方など・・・もう忘れてしまったことも多々ありますが、文章の基本作法も教えていただきました。これは大人になったいまも必要な知識で、私は苦労しながら何とか思い出そうとしています。

私はいま、鴻巣先生が卒業記念文集に寄せられた、生徒に対する一途な愛情に溢れた一文を転記させていただきながら、涙が浮かんできてしまいました。私は鴻巣先生の教えのわずかでも実践できているとすれば・・・あの日のように教室で褒めていただけたらどんなに嬉しいことでしょう・・・・。


         
        「あ な た の 心 に 残 る も の」    

                                            鴻 巣 静 代


ご卒業、おめでとうございます。みなさんがたのなかには、一年生から三年生まで、わたしといっしょに生活した人もありますね。早番、遅番のある二部授業も、今では思い出のひとコマになってしまいました。

私が小学校を卒業したのは、今ではずいぶん昔のことになってしまいました。卒業式には、たしかに立派な卒業証書と、記念に鹿皮お袋に入った自分のはんこをもらって感激したものですが、今では、その形跡もなく、また、当時の写真一枚さえも持ち合わせていないのです。
それは、太平洋戦争という、忌まわしい戦禍によって、家もろともに焼き尽くされてしまったからです。これからのみなさんには、戦争の体験はないことでしょう。また、けっしてあってはならないことですね。

いまでは、年ごとに幼い頃の記憶も薄れてきて、思い浮かんでくる同級生の名まえや顔が、しだいに少なくなってくるということは、たまらない(ママ)さびしいものです。

〈こんな思いは、これからのひとたちにはさせたくない〉 (〈 〉は先生の原文のママ)

これが私の心からの願いなのです。私どもの記憶を、より確かに支えてくれるもの、それは、おりにふれて写した写真、また、自分で描いた絵や文章ではないでしょうか。

ご卒業のみなさん、これからは自分でふみしめてゆく一歩一歩をたいせつにし、その足あとをとどめてゆくよう努めてください。アルバムの整理、絵や文章の作品集も、自分の手でやってください。あるいはまた、読書感想文、メモなども、幾年か先には、きっと役だつことでしょう。 
そして、誰も知らない、あなた自身の歴史をあなた自身に語りかけてくれるにちがいありません。私は、それを信じて、ご卒業のはなむけのコトバといたします。どうぞ、いついつまでも、お健やかに━━━。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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