2016/05/30(月)16:46
小学校1年から3年まで担任だった鴻巣静代先生は、ご主人の良雄さんも、違う小学校の先生でした。良雄先生はNHKのラジオやテレビの教育番組によく出演され、ご立派な姿からとても厳格な方かと思いましたが、教え子だったHさんによれば、理想の教育を追求すべく情熱を抱いた優しい先生だったそうです。

これまでの私のブログを見てやって来られたそのHさんは、私よりも2歳年長の男性で、学校は違っても思いはいっしょです。

そんな鴻巣先生ご夫妻に教えていただいた生徒はしあわせでした。日本も新しい希望に満ちて、生徒のこころもまだ真直ぐな時代であったと思います。

Hさんによると、良雄先生がご結婚される前、静代先生のことを〇〇先生と旧姓でよく語られていたそうで、私の記憶にない静代先生の旧姓を今でも覚えていました。

あのころ、私たちは静代先生が「鴻巣先生」以外であったとは考えられませんでした。「旧姓」は、先生が読んでくださった本の背表紙に書かれていたものを、前の方の席の誰かが気が付いたのです。先生は笑われながらその理由(わけ)を説明されましたが、すぐには理解できませんでした。家に帰って母に聞いてみると、やはり「おんなじ」で、旧姓だと母も先生も別人のような気がしたものでした。

Hさんによると、良雄先生も本をたくさん読んでくださったそうで、作文をいっぱい書かされた(?)というところも、生徒の「作文」をガリ版印刷をしてプリントしてくれたことも同じ体験でした。

2年生になってからだったか、静代先生は作文を書かせるようになりました。
それまでは先生が本や文章を読んでくださったのを聞くだけでよかったのが、今度は自分で書かなければならない!。幼な心にこれは大変だと思いました。
クラスの中で順番に数名ずつが指名され、宿題として与えられたと思いました。その中から先生がとりあげて読んでくれるのは楽しかったが、いざ自分が書く順番になると、何をどのように書いたらよいかさっぱり分からなかった。

家に帰って書いてみましたが、字数だけは埋めてみたものの、夏休みの絵日記のようにはゆきませんでした。
母は私をちゃぶ台の前に座らせると、「それでどう思ったの?」と、私の言葉を聞き出して文章にまとめてくれました。少し出来が良すぎたこのときの作文が、私と文とのかかわりの始まりでした。そのとき、こどもなりに何か手がかりがつかめたような気がしますが、初めての作文は母の力を借りければとてもできませんでした。それからも母に添削してもらっていたので、しばらくの間は、「母流」の文章になっていたような気がします。

俳句が唯一の趣味だった母は、能代のお姉さんに手紙を書くときには、小さな文字でいつも紙面一杯を使って、はがきは表面まで使って書いていたものでした。そんなとき母が手放さなかったのは三省堂の「明解国語辞典」でした。私が小学校高学年の頃に買ってもらったその辞書は母のものとなり、後には表紙の装丁が型崩れしてボロボロになるまで使い込むまれていました・・・。

教室で鴻巣先生が作文を読んでいるとき、読まれた男子や女子は何故か顔を真っ赤にして、涙を流し、ついには机に突っ伏してしまうのです。先生が取り上げてくれて嬉しいはずなのに、なんで泣くのだろうと思っていました。いざ「私の番」になったときには、先生が読み上げ始めると顔が熱くなってきました。涙を見られたくないので両手で顔を覆うと、もう顔を上げることができずしばらくは机に突っ伏したままでした。
先生が読み終わり、そっと顔を上げてみると、違う教室のように眩い視界の中で周りの生徒が笑顔で見つめていました。

出来が良いと、先生は朱筆で何重〇かの花マルを書いてくださったもので、桜の花のかたちのスタンプであったこともありました。「たいへんよくできました」という文字やひとことが書いてあると・・・・たいていはそうでした・・・とてもうれしいものでした。

先生のご指摘、コメントはいつも正鵠を射ているのだが、一回だけクレームを申し出たことがありました。
それは友人の家に遊びに行ったときに、そこのおばあちゃんが「甘栗」を出してくれて、私はそのことを作文の中で書いたのだが、先生は朱筆で「はまぐり」と訂正された。まだ漢字で書けなかった頃で、小さな声で先生に「はまぐり」ではなくて「あまぐり」だと言ったのたが、残念ながらわかってもらえなかった・・・。


私は静代先生と母が、私の文章作成の師だったと思っています。静代先生の「一番弟子」ではないかもしれませんが、直系の弟子だと思っています。

幼い日に、世界や日本の「民話集」や「昔話集」、絵本や「小学〇年生」・マンガなどの書籍を買い与えてくれた父もまた恩人です。「マンガ文庫」は、たしか小学館の「面白漫画文庫」という100巻以上の大シリーズで、内外の歴史上の人物や科学者、冒険家、偉人たち、プロ野球や相撲などのスポーツ選手について、初歩的な知識を楽しく学ぶには十分な内容でした。父が仕事を終えて帰宅したときに、これらの本のおみやげを見て、どんなにうれしかったことだろう(キャラメルやクッキー、チョコレートはもっとうれしかったが・・・)。

背表紙には旧姓が書いてある、鴻巣静代先生が読んでくださった本のなかには、ご両親が買われ、先生が幼い日に読まれた本もあったのだろうか・・・小学校の卒業記念文集に寄せられた先生の一文には、大切な思い出のものはすべて戦災で焼失してしまわれたと書かれていました・・・。


当店をとても愛してくれて、小学校教師を目指している早稲田教育学部で漕艇部のK子さんにも、これらのことを改めて伝えて上げようと思っています。

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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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