2016/09/26(月)13:46
幼かった日、「お盆」の季節になると、馬や牛に見立てて作ったナスやキュウリの姿は物悲しく、回り灯篭」の水色の照明も寂し気だった。落雁をいっぱい食べたときの幸福感、ススキを飾った「お月見」の季節に母が作ってくれたお団子も楽しみだったが、母が小豆を茹でた餡で作ったおはぎやぼた餅が食べられる「お彼岸」の方の記憶が勝る。大皿に山盛りのおはぎは幾つ食べても減らないように思えた。

私は母から「雨男」だとよく言われたが、初めて迎えた彼岸、母の墓参をした日は、異常に続く秋の長雨の束の間の好日だった。

墓参をすませ、世田谷区役所の出張所に立ち寄った帰路、新築なった多聞小学校の校舎を一目見たくなって、思い出が宿る方向にハンドルを切った。私が住んだ官舎も小学校のすぐ近くだった。
「故郷」に帰りたい・・・抑えることのできない帰巣本能だ。
車を停めて、正門の外から新校舎を眺めるつもりだったが、思いが募ってきて正門横の通用門をくぐった。校庭ではまだ工事が続いていて車両や作業員が動き回っていた。

61年前の入学式の日、母と共に正門をくぐった記憶が蘇る。一部の校舎はプレハブで、戦後私たちの代までは教室が足りず、一年生のときには「早番」「遅番」の二交代で一つの教室を使用していた。

五~六年生のころに正門前で、父が姉と一緒に撮ってくれた写真が残っている。もう眼鏡をかけ始めていた私は照れくさかったが、弟思いだった今は亡き姉の屈託のない笑顔がはじけていた。
校内の廊下で、同級の女子と談笑している姉とすれ違うことがあった。姉の顔がほころび、すれ違い様に私が弟であることを話している様子がわかると、走り去りたいような気恥ずかしさを覚えた。ときには家で姉弟ゲンカもする二歳上の姉と友人の女子が随分お姉さんに見えたものだった。

あの頃は渡り廊下でつながっていた校舎の棟ごとに玄関と下駄箱があったが、今は校舎は一か所だけのようで、下駄箱の高さも低くなって見通しが良くなっている。訪れたときは下校時間帯で、生徒や先生が玄関先に現れては消えてゆく。

アナウンサーになりたいとチョッピリ思っていた私は小学校で放送委員を務めた。壁の片側を覆うように放送機器が設置されていた放送室のスペースは、人がすれ違うことができないほど細長くて狭かった。最終下校時間が迫ると、この放送室から先生や放送委員が「家路」の曲とともに,マイクを通じて下校を促した。「下校の時間になりました・・・」壁には定型の短い原稿文が張ってある。私はこの放送をするのが好きだった。

この日、新校舎の玄関先で思い切って若い女性の先生に・・・70歳が近くなったいま、先生たちが私より若いのは当たり前なことに今更ながら驚いてしまう・・・自分は卒業生である旨を告げ、副校長先生の在否を尋ねてみた。

幸い、副校長先生はおられた。
昨年、ブログに小学校の思い出をいろいろと書いたところ、懐かしくなって小学校のHPを開いてみた。そこで多聞小の校舎新築工事のことを知り、電話をかけて見学会についてお伺いした。卒業生向け見学会の予定はないが、いつでもどうぞとのことだった。その後で副校長先生にご挨拶のハガキを出させていただいたが、ご多忙で覚えておられなかった。

しかし、私の思いが天に通じたのか、本当に僥倖だと思うが、副校長先生は11月に行われる落成記念式典の招待状を私に手渡してくださった。この日、思い切って訪ねてみて本当によかった。「彼岸」から両親と姉が、自分たちに代わって参列するように導いてくれたのかもしれない。

先生からお友達にも声をと言われたが、同級生たちはサラリーマン子弟が多く、殆どが公務員住宅や官舎、会社の社宅住まいで、我が家もそうだがもうほとんどがその地にいないのだ。とうに連絡も途絶えていた。

新しくひとつの小学校ができたような、数十年に一度、一生に一度と言っても過言ではないこの度の落成式。
現在の在校生や父兄、先生方にとって生涯忘れられない一大行事であり、卒業生にとっても。まさか記念式典に参列できると思っていなかった。校舎新築のことを伝えていた母が存命であったならば、どんなにか喜んでくれたことだろう。母の口癖のひとつだった「ボクは運がいいから」と言っただろうか。無理をしてでも車椅子を押して見せてあげたかった・・・。


この日小学校を辞した後、やはり思い出多い富士中学にも立ち寄った。
正門前から眺めた中学の校舎や体育館が佇む景色は、あの頃と変わっていないかのよう。
そこでの思い出が甦る。
かけがえのない幼年期の6年間と、続く早春の3年間だった。
出会った女子との淡い思い出・・・人生初期の素晴らしさと喜びの大半をそこで体感したといっても大げさではない。

たとえ拙くても、それらの思いを文字にすることができたのは、俳句を愛し、こころねがやさしく言葉に独自の感性を有していた母の存在と、その年代に目にすべき童話や物語の殆どを読んで聞かせて下さったと言てもよい多聞小の鴻巣静代先生の教育(1~3年)によるものだった。4年から6年を受け持ち、小川未明や坪田譲治の児童文学の世界を教えていただいた佐怒賀正雄先生のクラスもとてもよいクラスだった。

一生に一度の小学校。
一生に一度の落成式。

小学校で私は同級生から「つうせいさん」と呼ばれていた。
はたして懐かしい友や先生方に会えるだろうか。

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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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