3つのオレンジへの恋の物語・・・オムライス屋さんのお話
永遠のペギー(葉山さん)
2017/04/20(木)17:51
ペギー葉山さんの訃報がつたえられました。
昨秋、中野サンプラザで行われた恒例の「歌謡祭」で、ペギーさんは「学生時代」を歌いましたが、まだまだお元気で、つい最近までテレビやラジオにも出演されていました。
私が67歳になった現在にいたるまで、子供だったころから、ペギー葉山さんはずっと第一線で歌ってこられた、華のある「素敵なお姉さん」でした。
どことなく欧米を感じさせる上品な風貌に、少し「バタ臭い」”ペギー“というお名前がピッタリ馴染んでいました。
つい先頃も、爆笑問題のラジオ番組に出演して名前の由来を語られ、初めて芸名の「わけ」がわかりました。
混線した電話で話した外人の男性が、「君の声(話す様子)は”ペギー“だ」と言ったことからだとか。運命の不思議です。「葉山」はイメージのよい御用邸から・・・。
まだ有名でなかった頃、うろ覚えの司会者は「葉山」が出てこず、「ペギー横須賀」とか「横浜」だとか言われたと笑いながらはなされていました。
「もしも~し」
「もしもし?あれ!失礼ですがどなたですか?」
たしかに、突然電話が混線して知らない人とつながった時代がありました。
ドーナツが大変なごちそうだった時代から生まれたという、ペギーさんによる「ドレミの歌」名作詞のことなども・・・。
ミュージカル「サウンド オブ ミュージック」の国内公演では、「大佐」役は、私の母も入っていた、世田谷の多聞小学校のママさんコーラスを指導していた歌手の坂本博士さん。若き日のペギーさんは、マリア役をつとめられたのではなかったろうか。
私は、小学校の3~4年ころに流行った「南国土佐を後にして」に続き、思春期にはペギーさんの名曲「学生時代」「ラ・ノビア」と一緒に育ったようなものでした。「学生時代」は最も好きな曲で、女学生だった家内にレコードをプレゼントしたこともありました。日本近代音楽史に輝く「唱歌」の趣きが漂う、永遠の名曲です。
私がまだ20代だったと思うが、証券会社に勤めておられた女性から、京急生麦駅にあるその会社の施設で行われたペギーさんクリスマスコンサートにお誘いを受け、ワンマンショーを楽しませていただいたことも・・・歌うのがとても難しいと言っていた、宮城県の民謡「さんさ時雨」を取り入れた新曲も披露されました。あのときのペギーさんとともに彼女の面影も甦ってきます。
昨年の中野サンプラザでペギーさんが歌った「学生時代」は録画できたので、これからもそのときの様子を目にすることができるのは幸いでした。
テレビやラジオからも伝わってきましたが、ペギーさんは本当に性格のよい方だったそうです。長い歌手生命に驚きつつ、いつまでも歌っていてほしい歌手でした(実際にやってくれたのです)。
━━小学校三年の夏休み、上野駅から蒸気機関車が牽引する夜行寝台列車に乗って、私は初めて、両親の生まれ育った秋田県能代市を訪れました。結婚前に母も暮らしていた実家には、もう腰が曲がってはいたが、いつもきちんと正座していた母のお母さんと、母の姉夫婦と3人の従兄とがいました。
そこから少し足を伸ばせば、唱歌「浜辺の歌」が誕生した海岸があり、防風林の広大な松林では蟻地獄を初めて目にし、トンボが群舞した池など、自然に囲まれていました。
一面の野菜畑で、もぎ取って食べたトマトのみずみずしさ、東京では見たことがなかった「赤ぼうず」という名のキノコや、今ではすっかり有名になった高級食材「ジュンサイ」入りの、赤みそを使った味噌汁の美味しかったこと。「きりたんぽ鍋」や「だまこもち」に名物の「東雲羊羹」。
当時、東京湾の海水浴場の海水は茶色でしたが、みちのく五能線・岩舘海岸の海水は清らかでした。それまで「汽車」とは「列車」だと思っていましたが、五能線各駅の汽車は機関車に車両が二つしか連結されていないので、すぐに視界から消えてゆきました。
米代川の花火大会、哀調を帯びた笛の音が忘れられない「能代の七夕」は、青森の「ねぶた」より知名度は低いが武者絵の豪華な山車が繰り出されます・・・・日々の両親のものとはまた違う、伯母さんや伯父さんの愛情に包まれた、倖せな夏休みでした。
「南国土佐を後にして」が流行った正月のこと。
九戸が並ぶ官舎の一軒で、恒例の「お父さんたちの新年会」が行われました。
姉と二人でのぞきにいったとき、父は、余興にちょうどこの曲を披露していたのです。人前で父が歌う姿を見るのが珍しくもあり、何だか照れくさいようでもありで、姉と二人で顔を見合わせながら家に帰ると母に報告しました。父はペギーさんのファンでしたが、戦時には軍属としてインドネシアに赴任していたので、「南方・南国」という響きにも特別な思いがあったのかもしれません。
私はこの曲も好きでしたが、中一のときに従兄からもらった洋盤と国内盤、二つの「ラ・ノビア」のレコード・・・歌いながら本当に泣いているのではと思う、イタリアのトニー・ダララの歌唱は衝撃的でしたが、ペギーさんの方はあくまでも品がよいのです。たしかペギーさんは、「ラ・ノビア~泣きぬれて」が一番好きな曲だと言っていたように思います。
♪ 白く輝く花嫁衣装に
心を隠した美しいその姿
その目にあふれる ひとしずくの涙
まるで物語のようなペギーさんのレコードは繰り返し聴いたし、テレビでもよく歌われていました。
♪祭壇の前に立ち
いつわりの愛を誓い
十字架に口づけして
神の許しを願った 「ラ・ノビア」
♪ローソクの灯に輝く 十字架をみつめて
白い指を組みながら うつむいていた友の
「学生時代」の後に訪れた悲劇のように思えました。
「人間はこのままいつまでも歳をとらなければいいね」
私はあまり幸せに感じたので、夏休みのある夜、能代の伯母に言いました。
大好きなみんなが、いつまでもこのままでいてほしい・・・。
しかし、秋田県岩舘の海を「のし」泳法で泳ぎ、休養もそこそこにわずか一泊で、あわただしく帰京した父も、二人とも小学校の先生だった能代の伯母さん夫婦も、父の妹でにぎやかだった三人の叔母も、ケンカもよくしたが幼い私のよい先輩だった2歳上の姉も、そしてあくまでも慎ましく優しかった母の姿も今はない。
「ラジオ深夜便」の曲で、ペギーさんの遺作となった「おもいでの岬」を夜一人で聞いていると、三人の孫に恵まれたとはいえ、天涯孤独の身のように寂しくなり、いたたまれない思いがしました。
♪ いつまでも変わらずにと 願った幸せ
♪ 胸の中に秘めていた 恋への憧れは
「学生時代」の曲そのままに━━。
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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。
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