2018/01/20(土)17:10
「ずいぶんマセていると思ったよ」
昨年末、高校クラス会で歓談中に、修学旅行の思い出を書いた私の一文について唐突に言われました。

「えっ!マセている?」
「うん。読んでそう思った」

思わず聞き返した感想をもらしたのは、H君というサッカー部の元気ものでした。
「体育会系」の彼が、若き「文学少年」の拙文を読み、かつ「作者」がまったく予期せぬ思いを抱いていたことは以外でした。

それはほぼ半世紀前の奈良・京都 修学旅行の後に、学年でまとめた「紀行記」に寄せた小文でした。
もともと文章を書くのは好きだったので、「書きます」と手を挙げたものの、「受け身」的に参加した修学旅行については、何をどう描いてよいやらアイディアが浮かびませんでした。

♪月はおぼろに東山
修学旅行の最終日、車中で歌っていたのはベテラン気味のバスガイドさんだった・・・。
中学では、帰路の修学旅行専用列車「ひので号」はイス席・夜行一泊の強行軍だったこと、「夢の超特急」と言っていた、当時まだ試運転中であった最新流線型の車体を遠くから目にして、その優美さに女子への憧れをかさねたこと・・・。

原稿締め切りがせまるなか、ようやくのことで「京都去りがたし」の心中をまとめたものでした。しかし決して「マセた」どころではない、「幼稚な自分」をさらけ出した感傷過多の「失敗作」だと思っています。

私も、有名な作家の若き日の日記や文章を読んで、その精神年齢の高さに驚き、さすがにそういう人種は幼い頃から「マセているんだ」と思ったことはありますが、その真逆なのです。


━━ふつう、学校の文集は、まず小学校卒業時に作成され、中学三年の卒業時が続きます。
私はいずれも志願して編集委員になり製作に関わりました。
そして、ほかにあまり例はないと思いますが、「中学1年終了時」に私の発案により「卒クラス記念文集」を作ったのです。

やはり私はマセていたのだろうか。
小学校後半になって、よそのクラスに気になる女子を見かけるようになりました。
五年になって、クラスメイトのM君が好きだった他クラスの女子が同級であることがわかりました。こうして「M君の彼女」からの貴重な情報で、その名を知ることができたのです。

♪マリア!
映画「ウエストサイド物語」の中のように、私は何度も彼女の名前を思い、口ずさみました。

ほとんど情報がないなか、私も編集委員として参画した小学校の卒業文集に、彼女が帰国子女として小四で転校してきたときの困惑した様子が書かれていました。廊下で見かけるときに、いつもひとりの女子と「大きな声で話していた」理由もわかりました・・・やがて仲直りしたようですが、そのときはふたりは会えば「ケンカ」をしていたのです。

その彼女と、中一になって偶然同じクラスになりました。しかし二年になるときにはもう組替えがある━━何としてもこのクラスで記念の文集を作ろうと思ったのです。

たしか第二学期に同じ委員をつとめることができ、ようやく会話を交わすようになりました(クラス委員は学級・厚生・図書の三役があり、学期ごとにクラス投票で選出されるのですが、各期・男女六人の組み合わせの妙も加わって、「希望通りペアになる」ことは極めて難しいことだったのです)。
結局彼女は二年進級時に別のクラスとなり再び転校していったのでしたが、嬉しかったことにこのとき彼女は真っ先に編集委員に志願してくれたのです。
「ハイ!」
私に向かって手を挙げた彼女のそのときの澄んだ瞳。彼女の親友も続きました。

最近になって久々にこの文集を手にしたとき、小学校時代の一時期に同級で、中学で再会した三人の男子も編集委員に名を連ねてくれていたことに気が付きました。一人は、放課後によく彼の家に寄って遊んだ仲で、私と彼は、編集委員になってくれた彼女とその友だちにそれぞれ淡い思いを抱いていたので、勇気百倍でした。
「元同級生」のほかの二人は中学になってからは席が遠かったことが多く、話す機会は少なかったにもかかわらず・・・。
そのほか美術部でも一緒でそれぞれ好感を抱いていた男女二人、思いがけない女子たちも、ガリ版原稿書き・プリント・製本・装丁作業・・・この「めんどうな役」を引き受けてくれたことを思うと、いまなお胸がふるえます。


編集委員(長)になったものの、自分がよい文章が書けたかというとまったくその逆で、いずれも編集の忙しさにかまけてやっつけ仕事のような駄文になったり、「クラス版」については書けなかったことも。また、書いてほしかった女子がついに寄稿してくれなかったこともあった。それでも多くの男子女子が書いてくれたことは、とくに「クラス版」では嬉しいことでした。
高校修学旅行記の拙文は、H君に「マセている」という印象を与えただけでも成功したのかもしれません。


小学校や中学の文集に書かれた、真直ぐで率直な思いや「将来の夢」を目にする感動は、物言わぬ写真のワンショットとは違って、あらためて「そのときのその人」なりを伝えてくれ、飽きることはありません。

「〝マリア“がなりたい職業」には、海外勤務の多い省庁に勤めるお父さんと同じ職業が記されていました。
そうだったのか、そうだったんだねと、感慨に耽る━━クラスメイトからの情報で初めて耳にしたその業種、私も小学校卒業文集に書きたいという誘惑に駆られたものです。

中学校では、二年から三年にかけて、さらに思いもしなかった再会と嬉しくも切ない出会いが続いた。
「若きウエルテルの悩み」
いったい誰がこんなに素晴らしい日々をくれたのだろう。
世田谷区立T小学校とF中学校でのことした。

卒業アルバムやスナップの写真とともに、短かな文章・ひとこともまた年をとらない。
帰らぬ少年・少女時代がすぐそこにあるのです。

とても幼く見える孫の男の子(長男)は、いま、ちょうどあのころの私や〝マリア“と同じ小四だ。



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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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