2017/05/26(金)15:02

まだ5月だというのに真夏のような陽が照りつけた、ある土曜の午後。

元 国士舘大学教授のNさんがやってきました。

やはり国士舘で教授をしていた、私の早稲田時代の同級生から聞いて、「3つのオレンジへの恋」がオープンした15年前にも来られたといいます。老学者然としたその風貌にはかすかな記憶が・・・。


国士舘といえば、私が早稲田の学生時代に法学部の教授だった西原春男先生は、やがて早稲田の総長になられた後、国士館大学理事長に転じられました。余談ながら西原先生は、先の私の同級生の仲人でもありました。


Nさんのフルネーム四文字は、その西原理事長と、「原」の一字以外は同じであったため、国士舘大の職員がとり違えて、理事長宛ての郵便やお中元などが、度々Nさんに転送されてきたそうです。食品の場合「鮮度」の問題があるので、もちろん西原さんにお伺いを立てたうえですが、再送せずにずいぶん「美味しい思い」をしたという逸話を披露してくれました。


元教授のNさんが、一連の説明の中で、西原さんの「原」の字と、「原」に対応する自らの姓(漢字)の一字とを続けて発音したとき、「原〇」という、私だけにわかる、美しい響きをもつ ひとつの名前になりました。

何気なくNさんが口にした二つの文字・漢字。その偶然の組み合わせにより、遠い日の思い出の女性の名前が、突然目の前に現れたのです。私がまだ若かったころ、生涯でただひとり、この名前を持つ女性にお会いしました。大手町の大きなビルの一室にあった英会話教室のクラスでのことでした。


この日、思いもしないかたちでその名を耳にし、Nさんからいきなり「不意打ち」をくらったとき、懐かしさとも悲しみともつかない、言いようのない感情が私の胸の奥深くを突き抜けてゆき、こころが震えて一瞬動けなくなりました。


その方は、名門の女子短期大学を卒業後、新らしく誕生した大きな都市型ホテル会社に就職、役員秘書を勤めるかたわらフロントの業務に就いていました。私とは同学年の早生まれでしたが、顔にはまだあどけなさをとどめ、堀辰雄の文学と信州の高原とを愛するひとでした。


英会話教室で顔を合わせると、すぐに私とうちとけて、好きな本を交換して読んだり、映画や音楽の感想などを語り合うようになりました。授業が終わると、東京駅から新宿まで中央線快速の束の間の時間の後には、笑顔で軽く手を振りながら、私とは違う路線の改札口の中に消えてゆきました。


まだ大学生だった私が、ときおり彼女の職場を訪ねると、彼女は休憩をとり、ホテル内の広々としたティールームで語り合ったものでした。
私は、「紅茶は左手で」という小説のなかの、知的な人間は紅茶を好むという一文に魅せられ、紅茶を飲んでいましたが、彼女は大のコーヒー党であり、私もいつしかコーヒーを選ぶようになってゆきました。
深夜に放送されたミュンヘンオリンピック 男子バレーボールの試合を寝ずに見ていたのよと、すっかり寝不足顔だったこともありましたが、何の装いをしなくても愛らしいひとでした。いつも限られた時間いっぱい語り終えると、フロントに戻る彼女を同僚の女性が笑顔で迎えていました。


あるとき彼女が親友とハワイ旅行をした際の写真アルバムと、収めきれずに束になったスナップ写真とを、折々に説明を加えながら見せてくれたのです。どの一枚からも初めてハワイを訪れた歓びと、彼女の可愛らしさが伝わってきました。そしてハワイのフラダンサーに教わったという、手の動きや振り付けを披露してくれました。時折り記憶を辿りながら、一生懸命に波や月や魚や自然を表現していました。

ただ一人、私だけのために・・・幼い少女が演じているかのような、愛らしい彼女の手や腕のフリを見ていて、あまりの幸福感に私は息苦しさを感じたほどでした。

心待ちにしていた、きれいな文字で書かれた手紙が届くと、はやる気持ちを抑えながらていねいに開封しました。するといつも心地のよいさわやかな香りが満ちてきたものです。



・・・・・ その後の人生で、私はこの佳人と同じ姓をもつ方に出会うことはありませんでした。


あの英会話教室では、彼女と一緒に「入学」した二人の女性がいました。一人はA学院大学で有名教授の助手を務めていました。既婚の方でしたが、私の相談に気さくに応じてくれ、幾度か大学に訪ねたこともありました。


もう一人は、やはり名門の女子大生で、おっとりした性格は私に近いものがありました。チャイコフスキーを愛する素敵な方・・・なぜこのとき「三人」だったのだろう・・・・。
みな聡明なうえ、美貌の持ち主でありながら人柄もよく、その三人がそろえばそれは華やかなものがありました。まさに「いずれがアヤメか カキツバタ」、私は英会話教室のショートスピーチの際に、拙い英語で照れながらもそのことを言った記憶があります。


三人とも私を慕ってくれた「女神」であり「天使」でもあり、「早慶戦」に誘い、みなで食事会をしたりと、本当に夢のような一時期でした。


「三人の同級生」といえば、やはり神からの贈り物としか思えない、小学校から中学三年にかけての三人との出会いと憧れがありましたが、青年期のこの三人もまた忘れられない「同級生」なのでした。


「三人」・・・「三」という数字・・・・・ある女性から言われて、私のラッキーナンバーが「3」であると初めて知りました。幼少年期に私が暮らした地名に「三」がついていたのも、決して偶然ではなかったかもしれません。もう辞めようと思った、商社の最後の部署でも「三人の女神」が癒してくれたことも忘れることができません。その一人とは、結婚された後も心のこもった年賀状のやりとりが続いています。


━━創業塾で出会った女姓は、若いながらもバブル崩壊時に倒産した大手証券会社で、立派な業績を上げていたといい、私の両親のルーツである秋田県の出身であることがわかって、より親近感が増しました。姓名判断・占いの素養のある、とてもチャーミングな方でした。
起業を模索していたときの「創業塾」の同じクラスで、私に何か感じるところがあったそうで、会話が始まりました。私のラッキーカラーはオレンジであることもわかり、「3つのオレンジへの恋」を店名に決めたのは、彼女の推しによるところ大だったのです。



あの英会話教室から数十年の歳月が流れていました。
私に霊感はありませんが、あのときフラダンスの所作を一生懸命に見せてくれた彼女から、突然電光がひらめいたかのような「ある啓示」がありました。
何かがあったのだ!
私は夢の中で涙を流していました。

月日はさらにめぐり、目には見えない不思議な力が働いて、遠い日の美しい名を再び耳にしたこの日。
早稲田フラダンスサークルの小集団が、強い陽射しを浴びながら、「3つのオレンジへの恋」の前の小道をいとも涼し気に通り過ぎてゆきました。ちょうどあの頃の彼女の年代・・・植え込みと植樹の緑と蔦のからまる外壁を背景に、黒髪に花飾りをつけ、色鮮やかなフラガールの衣装を身にまとったうら若き女性たちは健康美と幸福感に満ち溢れて、彼女らを待つステージへと向ってゆきました。

通り過ぎて行った・・・・。
ペギー葉山さんの「学生時代」や「ラ・ノビア」から生まれた、みんな、すべては夢の中のことであったのかもしれません。


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://3orangelove.blog133.fc2.com/tb.php/357-f27d62a1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
検索フォーム

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード

QR