2017/06/17(土)19:11
「このあたりの者でござる」

野村萬斎さんが、巧みな語り口で説明をしてくれました。
狂言の始めに登場人物がこう語ると、時代も場所もなんの説明なしに、自然に話に入り込んでしまえるのだそうです。

たしかに「このあたりの者でござる」というセリフは、「昔むかしあるところに・・・」のように、見ているひとそれぞれが人物像や場所や時代を思い描くことのできる、「魔法の言葉」です。
「ござる」は、えらくかしこまった言い回しにも思えるし、相手を小ばかにして開き直っているようにもとれ、何とも絶妙です。


「昔むかし」ではない2010年の6月14日。
「このあたりの者」 私が、ブログに「オムライス屋さんのお話」を書き始めてから早や7年が経過しました。
記念すべき!?第一回は「ブログ始めましたよ!」━━わずかにこれが本文だったのです。

HPの方は1週間ほど早い6月6日に開始しましたが、何を書いてよいやらで、第一回目は不定期に行っていたパワーストーン占いの先生・・・この先生はなかなかの方です・・・の短い紹介記事でした。


それなりのことをずっと継続して書いてゆけるだろうか?書くこともなく途絶えたら?
アイディアを忘れないうちにと、日曜に書き込みに来たこともあるほど、最初は「強迫観念」にかられたものでした。

今は、一応HPでは店でのできごとなどを、ブログの方は店の関連もあれば、これまで過ごしてきた思い出など自由に綴ってきました。


あらためて思ったのは、記憶というものは深層水のようであり、説明のつかない力によって表面に現れたかと思うと、また水底に沈んでゆきます。自分でも意外でしたが、何かを手がかりにして、南十年も前の思い出の甘い水が湧き出てくるのです。そして心は少年の、青年だったあのころに飛んでゆくのです。


継続は力なりといいますが、ぐうたら以外は苦手な私が、ブログやHPの記事を書き続けてこられたのは、世田谷の多聞小学校で低学年のときに、童話や昔話・民話などをいっぱい読み聞かせ、作文を指導してくださった鴻巣静代先生と、俳句を趣味とし言葉に対する感性が豊かであった母親の影響が大きかったと思います。描きあげる・・・絵を描くことが得意だった父の存在もまた。


そして私の小学校時代への思い・母校愛が通じたのか、昨年の晩秋、多聞小学校新校舎の落成記念式典に参列することができました。
何十年ぶりかで母校の生徒たちが歌った校歌「丘の学校」(中田喜直作曲)を聴いて蘇った「あの記憶!」のことは、富士中学校の時代に続いた「3つの憧れ」とともにブログに記しました。以前にも何度か書いたことがありますが、「組替え」や「転校」による出会いや別れ、そして「再会」の不思議・・・。


黒羽清隆先生について。
都立大学付属高校時代の担任で、後に「NHK通信高校講座日本史」の面白さで「全国区」とななられたが、静岡大学教授在職中の1987年に53歳の若さで亡くなられました。先生の思い出を書いたブログは、OBを中心に大きな反響をいただきました。

テレビ講座の黒羽先生に触発されて自らも日本史教師となり、黒羽先生の追悼本を出版された八耳文之先生は、大津から「3つのオレンジへの恋」にやってこられ、私の高校卒業アルバムをお見せしながら先生を偲んだものです。

やはり私のブログをご覧になって訪ねてこられたのは、私より1年若い、都高19期の駒田和幸さんでした。
駒田さんもまた黒羽さんの影響を受け、神奈川県の名門私立高の日本史教師となり、NHKテレビ高校講座の講師を勤めました。


八耳先生とお知り合いの、早稲田大学講師の滝澤民夫先生もやってきてくれました。滝澤先生の優しく温かなお人柄にいつも感激しております。


高校卒業後、有志で杉並天沼の黒羽先生のご自宅にお邪魔してお世話になり、藤枝へのお引越しの際にもお目にかかった黒羽先生の奥様からもお便りをいただきました。やはり八耳先生から聞かれたとのことで、八耳さんの黒羽家への思いに頭が下がります。


都高 美術研究部、通称「美研」で1年上の女子荻原さんとは、昨年の早稲田ホームカミングデーの日に、「3つのオレンジへの恋」で、数十年ぶりの嬉しい対面をいたしました。今なお愛らしい先輩は、さきごろ亡くなられた元武蔵大学学長 平林和幸さんと同期で、平林さんを偲んで、美研時代の思い出を記したブログも読んでいただいたとのことでした。

以上は、黒羽先生についてのブログから生じた、ありがたい出来事の一部です。


「こんばんわ こんばんわ もうひとつこんばんは」
大学受験期に聴いていた深夜ラジオ番組の、素敵なお姉さんだった大村麻梨子さんが私のブログをご覧になって、アメリカからメールをいただいたことも嬉しいニュースでした。

私は浪人時代に、「大鳥 純」というペン(ラジオ)ネームでときどき投稿していました。
麻梨子さんがアメリカに行かれることとなり、「番組」が終了する際の大型企画にアイディアを投稿したところ選抜され、TBSラジオ、当時ラジオ東京の赤坂スタジオで対談させていただきました。

いざ麻梨子さんが待つスタジオに一人で入り、分厚い防音ドアが閉められ室内に赤いランプが灯ると、逃げ出したくなるほどの緊張感に襲われたものでした。大村麻梨子さんは私のことを思い出していただけたろうか?多分!━━麻梨子さんの別の番組に出演し、私もそのときの彼の「強烈な個性」を覚えているリスナーKさんは、私のブログを見て、自身の出演分と、私が出演した際の貴重な録音をCDにして、わざわざ「3つのオレンジへの恋」に届けていただいた、嘘のような本当の話しも。


熟年になった私が、たまたま目覚めていた際に、深夜ラジオから流れてきた一生懸命な語りと、亡き父を偲ぶ「秋櫻の秋」の歌・・・・以来応援している歌手あさみちゆきさんについてのブログをご覧になった、「広島のバスのたまり場」さん・・・わざわざ早稲田の「3つのオレンジへの恋」に立ち寄られて、ご自身で撮影されたちゆきさんの貴重なスナップ写真を置いて行ってくださった。このときお会いできなかったのは、返す返すも残念なことでした。
2016年渋谷公会堂コンサートを楽しみに待つ、その名も「ちゆきさんファン」という女性の方からも温かなメールをいただきました。お互い顔を知らないので、会場で「ブログの私ですよ!」と言うわけにもいかず・・・。


「2015 早稲田エンパクこども映画教室」では、「3つのオレンジへの恋」を舞台にして、「オレンジチーム」のこどもたちと、親御さんたちと、主催の土肥悦子さんらと、心の交流ができました。こどもたちを見ていて、小学校時代の自分はこんなにも幼かったのかと思い、是枝裕和監督ご指導の下で、そのこどもたちが作った短編映画の出来栄えに感激したものです。


「拍手」に加えて、メールでいただく「感想」には、その方の心がこもっていて本当にうれしく有難いものです。

自分でも特別な気持ちを込めて書いた、こどもの頃の「NHKみんなの歌」の「くまちゃんのピクニック」(歌 ボニージャックス)や、「西六郷少年少女合唱団」について頂いたメール。

東京オリンピックで感動の主役だった女子バレーボール「河西昌枝さんの目に涙 聴けば泣いてしまう音楽」についても。

小学校の鴻巣静代先生のご主人で、違う小学校の教師 良雄先生に教わったという男性、Hさんもやってきてくれました。

お嬢さんの受験で、2010年の暮れ、キャンパスツアーの際に広島から見えたTさん母娘。
こちらは特になにもいたしてないのに、恐縮してしまうほど、思いのこもった長文のメールをいただきました。大阪の立派な大学に入られたお嬢さんは大学院に進まれ、もう教職につかれていることでしょう。

最近では、ほんの1~2時間の間の出来事・奇跡をもとに描いた「若きフラガール」。
「古き良き昭和時代」の「通りすがり通行人」さんからは、一気に読んでいただいたと・・・。

まだまだいっぱいありますが、これまで書いてきたことも、温かい反響も、みんなみんな私の宝物です。


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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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