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2018/02/20(火)13:23
小二の孫(女の子)の「習字」(硬筆)が展示されたというので、会場の区立美術館に駆けつけてきました。
区内にある小・中学校の作品展で、学校ごとに、各学年から選抜された習字・絵画・工芸品などの作品が展示されていました。

私もかつては小中高で美術部に所属、もう筆運びも忘れてしまいましたが書道塾に通ったことも━━孫と同じ経験をした(毛筆部門?)、小学校時代の記憶がかすかに蘇ってきました。
絵画教室で習っているのだろうか、この日は小学生の絵画部門・写生の出来栄えに感心させられ、また毛筆作品のなんと清々しかったことか━━。

私のころには抽象画を描くといってもどう描いたらよいのか困惑したものだが、のびのび自由な発想で描かれた作品を見ていると、いまはポスター画像・映像・デザイン等身のまわりにいくらでもお手本があるからと、少々ひねくれた思いも過りました。

いずれにしても習字・絵画・造型などの展示作品は、歌唱・演奏・演技などのパフォーマンスと違ってハラハラドキドキがないのが身内にとって幸いです。


私は大いに異論があるのですが、かつて大学の同級生が「書道の授業は手本通りにマネするだけだからまったく意味がない」と暴論を吐いたことがありました。この日の小学生の毛筆作品は、筆の勢いや筆遣い・バランスなどそれぞれに個性が感じられるものでした。

かく言いつつ、これはわたしの考え違いかもしれませんが、より実用的な硬筆習字については、ともすれば点線のお手本をなぞった字体の追求に終わるような気がするのです。
この日、決してお手本通りとはいえないが、何だか気恥ずかしそうに、それでもふんばっている孫の「硬筆作品」は、まるで本人を見ているような気がしたものです。

なかよく遊んでいたかと思うと、すぐにきょうだいゲンカを始めそうな、こどもらしい文字でした。


━━大学の入試期間も残すところあと3日になりました。

早稲田「3つのオレンジへの恋」の個性的な特製オムや冬の石焼きオムそして絶品のブリュレなどは、それぞれ一期一会の作品です。
思えば、お気に入りの料理・デザートほど儚ない「芸術」はないのかもしれません。


2018/02/07(水)13:54
いよいよ大学入試の季節。
受験生のみなさん、今年は特別厳しい冬となりましたが、体調管理には万全を期して頑張ってください。

早稲田大学で恒例のロックアウト体制が敷かれた初日のことでした。
「3つのオレンジへの恋」に二人の女子学生がやってきました。

初めてのようでおすすめを聞いてから、それぞれ注文の「石焼きオム」がテーブルの上におかれたその瞬間。

「美味しそうでございます!」

一人の女子から思わぬセリフが飛び出したのです。

「わあ!美味しそう」「美味しい!」(「美味しかったです」)という言葉はよくいただくのですが━━ありがたいことです━━ユニークなこの「変化形」には意表をつかれて、つい笑わされてしまいました。

おもしろかったので、よく使うセリフなのか、このときたまたま出たのかを聞いてみると、考え込む本人を横に、一緒にいた友達が「(いつも?)言っている」と教えてくれました。

「ございます」の女子は早稲田の教育学部、お友達は他大学だそうで、それぞれ1年生で「東京花火」と「踊り侍」という早稲田の「よさこいサークル」に所属しているそうです。部外者にはわかりにくいのですが「花火」は高知系で、「侍」は北海道系だとのこと。

明るい二人は絶品のクレームブリュレやアイスクレームブリュレも堪能して、大いに癒されたであろう後、また来ますよと言って帰ってゆきました。

とっても寒い日が続くなか、心の和む一日になりました。
「また来ようね」

「3つのオレンジへの恋」は「美味しいん だぞ!」

入学試験がある日は日曜も営業していますよ。
受験生やご父兄のみなさま、どうぞご利用ください。
店内は早稲田がいっぱいです。


2018/02/01(木)10:21
大地真央さん・中村梅雀さんが主演したコメディ「夫婦漫才」、小劇団によるつかこうへい作品の大熱演(HPの方に記載)など、演劇鑑賞の機会に恵まれました。

今度は浅草ゴロゴロ会館のトキワホール。
第8回〝したまち演劇祭 in 台東“参加作品、「浅草★ロ・ロ・ロック」です。

戦中と戦後、映画産業や町の映画館の盛衰、いいものと悪者、現在と過去・未来とが目まぐるしく交錯し展開してゆく奇想天外のストーリー。

年季の入った劇場は、舞台・客席一体感のあるほどよい大きさです。

「演劇ラボ・狼たちの教室」という劇団でしたが、なんと56年前に小学校で同級だった女子が、照明を浴び舞台上にいた!?のです。街中や電車の中で出会ったとしても、もうお互いにわからないはずですが、「あの頃のまま」だったので、すぐにわかりました。
主人公たちに執拗におそいかかる「悪役」なのに、テレビや映画のようなリアルな憎々しさを追及していないため、何だか可愛く、ついこの「同級生」を応援していました・・・似・て・い・る・・・終始ドキドキしながら。


ここ数年、私が小学校や中学の文集のことを書いてきたたことで、懐かしい面影が再現したのだろうか?━━彼女も、私とともに小学校卒業記念文集の編集委員をつとめていたのでした。
たしか小学校五年の時に転校してきたが、見るからに活発で明るく、すぐにクラスの中心人物のひとりになったのです。
成績はトップクラスで、当然学級委員にもなったし、私も一緒に勤めたことがあったはずです。
スポーツ万能で習字・そろばんが得意。担任の男性教師は資料計算をまとめるとき、いつも彼女に手伝わせていたほどでした。

童顔でかたちのよい丸い顔、張りのある額の下にはつぶらな瞳が強く輝やいていました。
彼女に似ていたように思えたのは「新美あかね」さんという女優でした。
新美さん自身が振付をした切れのよいアクション場面がいくつもあって、男まさりの大活躍をしていた━━キャラクターまでが同級の子と似ているようで、「彼女」が若い姿かたちで出現したとしか思えませんでした。うれしいことでした。

作・演出・主演で劇団の主催者は うちやまきよつぐさん。
苦み走った日本人離れした容姿に古尾谷雅人さんを思い浮かべました。

遅刻したため開始直後のいくつかの場面は見逃してしまったが、フィナーレの見事なタップダンスショーに至るまで、主演女優 保坂 藍さんほか全出演者が舞台狭しと大車輪の活躍でした。

最後の最後までドキドキしながら、私だけが、思わぬ「タイムスリップ特典」を楽しませてもらった一日となりました。


(付記)

記憶というものは、つくづく不思議なものだと思います。

今回の「女子」が転校してきたときの自己紹介を思いだしたのです。
吉田という姓。
裏面が透けて見える習字用紙に毛筆で書いたものだったろうか・・・彼女は手にしながら、このように自分は裏表がありませんと、皆を笑わせたのです。クラスを感心させたユニークな挨拶でした。

それ以来、何十年間まったく思い出だしたことはなかったのに、突如記憶の糸がつながったのです。

2018/01/20(土)17:10
「ずいぶんマセていると思ったよ」
昨年末、高校クラス会で歓談中に、修学旅行の思い出を書いた私の一文について唐突に言われました。

「えっ!マセている?」
「うん。読んでそう思った」

思わず聞き返した感想をもらしたのは、H君というサッカー部の元気ものでした。
「体育会系」の彼が、若き「文学少年」の拙文を読み、かつ「作者」がまったく予期せぬ思いを抱いていたことは以外でした。

それはほぼ半世紀前の奈良・京都 修学旅行の後に、学年でまとめた「紀行記」に寄せた小文でした。
もともと文章を書くのは好きだったので、「書きます」と手を挙げたものの、「受け身」的に参加した修学旅行については、何をどう描いてよいやらアイディアが浮かびませんでした。

♪月はおぼろに東山
修学旅行の最終日、車中で歌っていたのはベテラン気味のバスガイドさんだった・・・。
中学では、帰路の修学旅行専用列車「ひので号」はイス席・夜行一泊の強行軍だったこと、「夢の超特急」と言っていた、当時まだ試運転中であった最新流線型の車体を遠くから目にして、その優美さに女子への憧れをかさねたこと・・・。

原稿締め切りがせまるなか、ようやくのことで「京都去りがたし」の心中をまとめたものでした。しかし決して「マセた」どころではない、「幼稚な自分」をさらけ出した感傷過多の「失敗作」だと思っています。

私も、有名な作家の若き日の日記や文章を読んで、その精神年齢の高さに驚き、さすがにそういう人種は幼い頃から「マセているんだ」と思ったことはありますが、その真逆なのです。


━━ふつう、学校の文集は、まず小学校卒業時に作成され、中学三年の卒業時が続きます。
私はいずれも志願して編集委員になり製作に関わりました。
そして、ほかにあまり例はないと思いますが、「中学1年終了時」に私の発案により「卒クラス記念文集」を作ったのです。

やはり私はマセていたのだろうか。
小学校後半になって、よそのクラスに気になる女子を見かけるようになりました。
五年になって、クラスメイトのM君が好きだった他クラスの女子が同級であることがわかりました。こうして「M君の彼女」からの貴重な情報で、その名を知ることができたのです。

♪マリア!
映画「ウエストサイド物語」の中のように、私は何度も彼女の名前を思い、口ずさみました。

ほとんど情報がないなか、私も編集委員として参画した小学校の卒業文集に、彼女が帰国子女として小四で転校してきたときの困惑した様子が書かれていました。廊下で見かけるときに、いつもひとりの女子と「大きな声で話していた」理由もわかりました・・・やがて仲直りしたようですが、そのときはふたりは会えば「ケンカ」をしていたのです。

その彼女と、中一になって偶然同じクラスになりました。しかし二年になるときにはもう組替えがある━━何としてもこのクラスで記念の文集を作ろうと思ったのです。

たしか第二学期に同じ委員をつとめることができ、ようやく会話を交わすようになりました(クラス委員は学級・厚生・図書の三役があり、学期ごとにクラス投票で選出されるのですが、各期・男女六人の組み合わせの妙も加わって、「希望通りペアになる」ことは極めて難しいことだったのです)。
結局彼女は二年進級時に別のクラスとなり再び転校していったのでしたが、嬉しかったことにこのとき彼女は真っ先に編集委員に志願してくれたのです。
「ハイ!」
私に向かって手を挙げた彼女のそのときの澄んだ瞳。彼女の親友も続きました。

最近になって久々にこの文集を手にしたとき、小学校時代の一時期に同級で、中学で再会した三人の男子も編集委員に名を連ねてくれていたことに気が付きました。一人は、放課後によく彼の家に寄って遊んだ仲で、私と彼は、編集委員になってくれた彼女とその友だちにそれぞれ淡い思いを抱いていたので、勇気百倍でした。
「元同級生」のほかの二人は中学になってからは席が遠かったことが多く、話す機会は少なかったにもかかわらず・・・。
そのほか美術部でも一緒でそれぞれ好感を抱いていた男女二人、思いがけない女子たちも、ガリ版原稿書き・プリント・製本・装丁作業・・・この「めんどうな役」を引き受けてくれたことを思うと、いまなお胸がふるえます。


編集委員(長)になったものの、自分がよい文章が書けたかというとまったくその逆で、いずれも編集の忙しさにかまけてやっつけ仕事のような駄文になったり、「クラス版」については書けなかったことも。また、書いてほしかった女子がついに寄稿してくれなかったこともあった。それでも多くの男子女子が書いてくれたことは、とくに「クラス版」では嬉しいことでした。
高校修学旅行記の拙文は、H君に「マセている」という印象を与えただけでも成功したのかもしれません。


小学校や中学の文集に書かれた、真直ぐで率直な思いや「将来の夢」を目にする感動は、物言わぬ写真のワンショットとは違って、あらためて「そのときのその人」なりを伝えてくれ、飽きることはありません。

「〝マリア“がなりたい職業」には、海外勤務の多い省庁に勤めるお父さんと同じ職業が記されていました。
そうだったのか、そうだったんだねと、感慨に耽る━━クラスメイトからの情報で初めて耳にしたその業種、私も小学校卒業文集に書きたいという誘惑に駆られたものです。

中学校では、二年から三年にかけて、さらに思いもしなかった再会と嬉しくも切ない出会いが続いた。
「若きウエルテルの悩み」
いったい誰がこんなに素晴らしい日々をくれたのだろう。
世田谷区立T小学校とF中学校でのことした。

卒業アルバムやスナップの写真とともに、短かな文章・ひとこともまた年をとらない。
帰らぬ少年・少女時代がすぐそこにあるのです。

とても幼く見える孫の男の子(長男)は、いま、ちょうどあのころの私や〝マリア“と同じ小四だ。



2018/01/10(水)14:34
大晦日恒例の年越しコンサートに、あの広上淳一さんが登場していました。
「展覧会の絵」フィナーレでは、わずかに「新年零時」に合いませんでしたが、「ご愛敬」です。
私は本当は、楽曲の魅力とはまったく関係のない、この「ハラハラ企画」は好きではないのですが、番組のレベルは高く、歴代指揮者たちも楽しんでおられるようなので・・・。


愛嬌ですまないのが大相撲の世界で、早くも初場所がはじまります。
相撲好きの女子には「新鮮」な世界なのでしょうが、既に多くの指摘がなされている某横綱の立ち合いの汚さ、懸賞金を手にするときの行儀の悪さ、態度全般のひどさは言語道断です。朝青龍が悪役を勤めていたとき、いい子ぶって見えていたのは、猫を被っていたということか。


貴乃花には厳しい相撲協会も横審も、なぜか「H」関に対しては、腫物にさわるようで情けない。
先場所、遠藤が一瞬で土俵に散った反則まがいの「お得意の張り手」━━下位の者は上位の力士には使えないというが、何とも汚い「手口」(「取り口」ではない)だ。
合わせ技の「サポーター」は完全に持ち込み禁止の「凶器」だといい、水を含ませて固くなった二重サポーターの「破壊力」はすさまじいらしい。遠藤関が身を持って証明してくれた。


「モンゴル」と言う国には、親しみを抱くが、「相撲共済組合」はいただけない。
八百長・談合につながる「飲み会」は、一対一で「対決」するスポーツの世界ではありえない。それでなくても「片八百長」が成り立つ世界だとみられているのだ。

「飲み会」で「根回し」がなされ、「筋書き」が決定するらしい(と、痛くもないハラを探られるのが嫌なら、「飲み会・談合」をやめればいいのだ)。
貴ノ岩が横綱「H」にガチンコで勝ったが、その前の夜、来るはずのない電話がしきりにかかってきていたという。貴ノ岩は勇敢にもこれを無視したそうだ。


今回の騒動の発端となった「飲み会」。
貴ノ岩関が顔を出すと、ふつうその「会」にはいるはずのない横綱たちがいた。


誰かが目配せをした。
ささいなことを言いがかりにして、「まだまだお前たちの時代ではない。100年早いわ!」
文字どおり凶器を手にした副組長が、ボコボコにしてしまった。

宴会が終わると「二人の親分」は、若い?姉ちゃんたちと意気揚々とラーメンを食いに行ったという。
品格も礼節も何もあったものではない。
まるでヤクザ映画の場面だ。


モンゴル人力士同士の対戦も、行動も、とっくに規制するべき時期に来ている。
そして意味のない数字だけがとりあげられ、強張される。
 
私は稀勢の里が今なお癒えない大けがをしたのも、ガチンコ横綱が「組合につぶされた」と思っている。
元小結旭道山によれば、素人目にはたいへん危険なように思える土俵と地べたとの「高低差」は、実はそれがあることで、力士の安全が保たれるのだという。土俵から落ちるとき、力士はその一瞬の時間で防御態勢をとり、身構えることができるのだといいます。

しかし、日馬富士が稀勢の里を土俵下にたたきつけて大けがを負わせた一番は、もつれ込みながら、日馬富士が加速度のついた全体重を乗せ、巨漢横綱を土俵下に叩き落としたようにみえた。
身構える時間も与えないほどのスピードで、勝敗をつけるというよりも、憎しみをこめた取り口は、以後「組合」に歯向かえないよう恐怖心をうえつけたという感じを抱きました。もう極道の世界です。


もちろん全部が全部「モ組合」に加入しているとは思いませんが、「大相撲村」のきけんな曲がり角はもうすぐそこです。
格式がモットーのはずである立行司はどうしたことか。
「ウミ」を出し切るとは、一体どの口から出た言葉か。

(付記)
「旭道山」を検索していたところ、現役時代には「張り手」を連発。
その破壊力で、有望大物力士だった「久島海(くしまうみ)」に致命的打撃を与え、その角力生命を奪ってしまいました。
今思えば、「張り手の危険性」がさほど大きなニュースにならなかった気がするが、あの時代のこと、協会への「そんたく」が大きく働いたのだろう。
旭道山は以後、張り手を封印されたといいますが、「張り手」も「エルボークラッシュ」も、それほど危険な技なのです。

百歩譲って、旭道山は「軽量力士」ですが、堂々たる体躯に恵まれ、押しも押されもせぬ地位にあって、後ろ指を指される立場にある「H」関。
協会はことの是非をわきまえねばいけません。
いわんや横審において。
「はじめの一歩ならぬ一発」は、もう見たくありません。

(付記2)
休養十二分の鶴竜。
あの足腰の筋肉の張り具合は見事なものですと感動するMC有馬隼人さんがいた。
いつも休んでばかりだったが、今場所は「二人」下りたからこんどはあんたの番・・・「組合の筋書き」がないことを祈りたい。

足腰の筋肉の「見事さ」は、貴乃花の兄の若乃花がかつてそうだったし、千代の富士も筋肉隆々だった。朝青竜もなぜかよくモンゴルに帰国してある「疑念」を抱かれていた・・・・大型力士に比べると、いずれも小柄といえるがいざというときの怪力は無双だった。
相撲の力士がどのくらい鍛えれば、どういうトレーニングを積めば、体操選手のようなピリピリと反応する筋肉がつくのだろうか。
副作用はないのだろうか。

超生真面目な稀勢の里も無理をせずに、モンゴル力士たちのように完全休養したらよかったのにと思うこの頃。


(付記3)
鶴竜は「世間の風」を感じたのか。
急に勝たなくなってしまった。
正々堂々と戦った遠藤ですが、鶴竜自滅につながる引き技は、先場所白鳳のプロレス並みの荒っぽい「取口」を、“M〝グループとして「お詫び」をしたように思えてならない。

国技館にモンゴル力士優勝記念の額が連なる。
どこかに不自然さ、不明朗さが漂っているように思うのは私だけだろうか。

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早稲田大学南門前のオムライス店・3つのオレンジへの恋のオーナーブログです。元商社マン、母校の地で第二の人生をはじめました。

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